我々は、中学生の頃、社会科の授業で、ロックから基本的人権として、
「 人が生まれながらにもつ、個人の生命・自由・財産は、どんな権力も
おかすことができない 」 ことを、
ルソーからは、国民主権(人民主権)として、 「 国の権力は もともと人民自身に
ある 」こと( 主著は『 社会契約論 』 )を、
モンテスキュからは、三権分立として、立法・行政・司法の三権を互いに抑制させる
ことによって、ひとつの権力が肥大化することを防ぐことを、学んだ記憶があるに違いない。
しかしながら、そもそもこれらは、白人のためのものであり、有色人種は含まれて
いなかったのである。そこに、有色民族の解放の戦い、大東亜戦争が人類進化の
歴史的必然としてあったのではないか。
< 植民地支配は、一九世紀のヨオロッパでは正義とみなされていた。
『 イエス伝 』の著者として日本でも名高いフランスの歴史家エルネスト・ルナンは、
一九世紀半ばすぎに書いている。
「 植民地獲得は、ひろい視野から考えて完全に第一級の政治的必要性をもつ。
( 中略 ) 劣等人種の国土を優秀な人種が征服し、そこに支配権を樹立することに、
何の不都合もないのである。 」
名誉心を殆んどもちあわせない、ただし手先の器用な労働者として
自然はシナ人という人種をつくり出し、農業労働者として黒人をつくったのであり、
彼らを支配することこそがヨオロッパ人の仕事であるとルナンはいう。
彼のいうシナ人の範疇(はんちゅう)には、日本人も含まれていると考えてよい。
幕末の日本人は、こういう思想を奉じる白人の諸国がアジアの各地に次々に
侵攻して来るのを見て戦慄した。ヨオロッパ列強によるアジアの植民地化の波から
いかに生きのびるかが、当時の日本に課せられた巨大な課題だった。>
『 日本人と天皇 』 99~100頁 村松剛 著 PHP研究所
数学者の 藤原 正彦 氏は、いう。
「 欧米を見れば分かるように自由や平等、権利を何百年絶叫しても
人間社会の諸問題は解決しない。」( 読売新聞 平成18年6月28日 )
谷口雅春先生が説かれた聖典『 生命の實相 』 に、すべての問題解決の鍵が
秘められているのである。