人間を拝むと同時に環境をも祝福するがよい。
あなたの住む環境が如何に苛辣(からつ)な状態であろうとも、
その現象的状態を見て恐れたり腹立てたりしたならば、環境は愈々苛辣な状態となり、
人々はあなたに対して一層攻撃的になって来て、収拾(しゅうしゅう)がつかなくなるかも
しれないのである。
そんな苛辣な環境に対したときには、あなたはその環境と、そこに集まっている人々、
又はそれに関連のある人々を“神の愛”をもって祝福しなければならないのである。
次の如く、心を静めて繰り返し念ずるがよい。
“ 此処は神様の愛の支配するところである。神の愛が今此処に充ち満ちているのである。
神の愛が、ここに集まっている人々、この問題に関係あるすべての人々を引き包んで、
それらの人たちの心を平和ならしめ、愛と調和の精神をもって充たし給い、
神の智慧をもって、すべての人々が調和して満足できる解決を与え給うのである。”
この種の思念をつづけていると、はじめに争いの念をもって人々が集まっていた会場は
次第に平静となり、争いの心は鎮(しずま)り、人々は互いに協調の精神を起して、
大調和の状態を呈するに至るのである。(ホルナディ博士著、谷口雅春訳『今日如何に生きるか』参照)
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 二十八日の法語 谷口雅春
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