われらは 常に無限力と偕に 生くることを信じ、神に背(そむ)くことのほか、
何ものをも恐れず、取越し苦労を せざらんことを期(き)す。
われらの心の明朗の極点は 「 神の無限力 」 と一体で生きている という自覚で
あります。他のいろいろの方法によって 心の明朗さを得ようとも、
それは たいてい一時的の明朗さであります。
また 次なる重大なる事件が起こって来るとともに、その明朗さは破壊せられずには
いないのであります。どんな重大なる事件が起こって来(こ)ようとも、
我(わ)が味方は 「 神 」 であり 「 神 」 がその事件を われらの真の幸福にまで
導き給うものである との自覚さえありさえすれば、われわれは その重大なる事件を
静かに支配することが できるのであります。
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取越し苦労や心配が 心の底から湧き起こるときには、ただちに 心を一転して
「 われ神の子である、われ神と偕に生く、われ神と偕に歩(あゆ)む、わが砦(とりで)は
神であるから 恐るるところのものはない 」 と断々乎(だんだんこ)として
心の中に唱えて 自分自身に言って聞かすようにする習慣をつけるがよい。
また ヘンリー・フォードが考えたように、人生の体験は どんな体験でも失敗はない、
どんな体験も 次なる成功に達する一階段である と 喜び 勇(いさ)んで、
その現在の地点を足場(あしば)として 明朗な心境で 新(あら)たに出発するものは
必ず最後に成功するのであります。
『 生命の實相 』 ( 頭注版 第28巻 久遠仏性篇 31頁、33頁 )
谷 口 雅 春 先 生
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