一昨日の観音山公園(カッパピア跡地)再整備検討委員会・・・
昨日の第3回高崎市生涯学習推進協議会・・・・等々各種会議に参加させて頂いています。
高崎市の今後の指針やあり方・・・そういったものを決めていく大切な会議が多々・・・
PTAと関わって・・・単Pと市P連同時に・・・市P連会長の経験を通して・・・
自分自身がそういった場面の経験をさせて頂き・・・こうやって高崎市は動いているんだ
というある意味・・・裏側?中枢?の部分に参加することが出来たことを嬉しく思います。
2度の合併の際の協議会・・・高崎市の第5次総合計画・・・高崎市地域福祉市民会議・・・
どれもみな高崎市の将来像を・・未来の指針を打ち出していく大切なものばかりでした。
こういった場面の中で高崎市の未来を・・・・今を真剣に議論する場面・・・
現在その高崎市の中で中枢となってご活躍中の皆さんとのふれあいは、ある意味安心感を
そしてその方達の歩んできた歴史というものを感じました。・・・
さて、昨日の会議の話しに・・・・
新・高崎市生涯学習推進計画(計画期間 平成20年~29年度)
地域力を育む
生涯学習社会の創造・・・というタイトルの冊子が配布されました。
今後10年間の生涯学習の指針・・・考え方を形に表したものがこの冊子です。・・・
この冊子の骨子とその中身を創り上げたのがこの協議会でした・・・
私自身が、市P連会長当時は、その高崎市のPTA会員(児童・生徒約3万人の保護者)
の代表ということで関わっていたわけで今更ながらその“責任”という部分を痛感します。
会長というものは、常にそういった発言や行動を求められていたわけで・・・
日頃のコミュニケーションやアンテナを高くして情報収集・・・大切だったんですね。
市P連会長という部分では、高崎市との関わりが非常に強かった・・・
これが単P会長という立場では、学校或いはその地域の中での関わり・・・
会長という立場での“責任”というものを・・・関わりをしっかり背負っているんですね・・
PTAの本部役員という立場では・・・
その学校とPTAのPを繋ぐパイプ役としての“責任”をしっかり背負っている・・・
特にPTAという世界は、その背負う“声”の数というものが本人の意識のないままに
多くのものを背負っているのが現状なんでしょうか??・・
(すみません・・・・・私の自覚不足だった?・・・皆さん自覚していらっしゃる(笑))
PTAは、そういう意味では・・
一人では出来ないことを・・その背負っている沢山の声や責任を自覚して・・・
いい意味での“力”を発揮して欲しいと思います。
新・高崎市生涯学習推進計画・・・これ自体の中身のお話は、次回ですね。
(毎度のことながら脱線?(自身では主流??)モードですみません・・・・・)
PTAの存在意義・・・
学校という義務教育機関・・・小・中って原則その自身の生活する地域に通う・・・
その地域の中で育っていく・・・それは地域の子は地域で育てるという言葉の実践
その実践の度合いに関わらず・・・子どもたちは成長していく・・・
その成長の過程で・・・
学校と家庭の繋ぎ役として存在する・・・
それは縦糸としての繋がりだけではなく(学校⇔家庭)
横糸としての繋がり・・・家庭⇔家庭・・・そしてそこに教職員を巻き込んだ器?
PTAという括りでは・・・PもTも・・・“個”としての関わりもそこに・・・
それはある意味・・・“ひと”と“ひと”との関わりなのかなとも・・・・
その共通のテーマ?・・・キーワードが“子ども”である・・・
一人の担任と保護者という関わり・・教師と親・・・
PTAは、その子どもを大人へ導く環境を一緒に考える場・・・・
先生方が、保護者の教育は?難しい・・・
PTAがその保護者を・・・共育・・・そう共に育む・・・それがPTA
教師が子どもを教育する・・・・(これは義務教育の教育)
PTAでPとTと子ども達が・・・共育・・・・(これは協働的な発想)
これが出来るのがPTAじゃあないのかなって・・・
その共育する機関としてPTAがその存在意義があるのでは?・・・って思います。
PTAには、指導要領も・・・・
法律(PTA施行法とか)もない・・・まして100%正解もない・・・
だからこそ・・・
自由な発想と思いで・・・関わっていけばいいのかなって・・・
その関わり方が大事・・・関わる以上は・・・楽しくが・・・・
片岡小PTA会長時代のいつもの一言・・・ “基本は楽しく!!”・・・でした。
昨日の第3回高崎市生涯学習推進協議会・・・・等々各種会議に参加させて頂いています。
高崎市の今後の指針やあり方・・・そういったものを決めていく大切な会議が多々・・・
PTAと関わって・・・単Pと市P連同時に・・・市P連会長の経験を通して・・・
自分自身がそういった場面の経験をさせて頂き・・・こうやって高崎市は動いているんだ
というある意味・・・裏側?中枢?の部分に参加することが出来たことを嬉しく思います。
2度の合併の際の協議会・・・高崎市の第5次総合計画・・・高崎市地域福祉市民会議・・・
どれもみな高崎市の将来像を・・未来の指針を打ち出していく大切なものばかりでした。
こういった場面の中で高崎市の未来を・・・・今を真剣に議論する場面・・・
現在その高崎市の中で中枢となってご活躍中の皆さんとのふれあいは、ある意味安心感を
そしてその方達の歩んできた歴史というものを感じました。・・・
さて、昨日の会議の話しに・・・・
新・高崎市生涯学習推進計画(計画期間 平成20年~29年度)
地域力を育む
生涯学習社会の創造・・・というタイトルの冊子が配布されました。
今後10年間の生涯学習の指針・・・考え方を形に表したものがこの冊子です。・・・
この冊子の骨子とその中身を創り上げたのがこの協議会でした・・・
私自身が、市P連会長当時は、その高崎市のPTA会員(児童・生徒約3万人の保護者)
の代表ということで関わっていたわけで今更ながらその“責任”という部分を痛感します。
会長というものは、常にそういった発言や行動を求められていたわけで・・・
日頃のコミュニケーションやアンテナを高くして情報収集・・・大切だったんですね。
市P連会長という部分では、高崎市との関わりが非常に強かった・・・
これが単P会長という立場では、学校或いはその地域の中での関わり・・・
会長という立場での“責任”というものを・・・関わりをしっかり背負っているんですね・・
PTAの本部役員という立場では・・・
その学校とPTAのPを繋ぐパイプ役としての“責任”をしっかり背負っている・・・
特にPTAという世界は、その背負う“声”の数というものが本人の意識のないままに
多くのものを背負っているのが現状なんでしょうか??・・
(すみません・・・・・私の自覚不足だった?・・・皆さん自覚していらっしゃる(笑))
PTAは、そういう意味では・・
一人では出来ないことを・・その背負っている沢山の声や責任を自覚して・・・
いい意味での“力”を発揮して欲しいと思います。
新・高崎市生涯学習推進計画・・・これ自体の中身のお話は、次回ですね。
(毎度のことながら脱線?(自身では主流??)モードですみません・・・・・)
PTAの存在意義・・・
学校という義務教育機関・・・小・中って原則その自身の生活する地域に通う・・・
その地域の中で育っていく・・・それは地域の子は地域で育てるという言葉の実践
その実践の度合いに関わらず・・・子どもたちは成長していく・・・
その成長の過程で・・・
学校と家庭の繋ぎ役として存在する・・・
それは縦糸としての繋がりだけではなく(学校⇔家庭)
横糸としての繋がり・・・家庭⇔家庭・・・そしてそこに教職員を巻き込んだ器?
PTAという括りでは・・・PもTも・・・“個”としての関わりもそこに・・・
それはある意味・・・“ひと”と“ひと”との関わりなのかなとも・・・・
その共通のテーマ?・・・キーワードが“子ども”である・・・
一人の担任と保護者という関わり・・教師と親・・・
PTAは、その子どもを大人へ導く環境を一緒に考える場・・・・
先生方が、保護者の教育は?難しい・・・
PTAがその保護者を・・・共育・・・そう共に育む・・・それがPTA
教師が子どもを教育する・・・・(これは義務教育の教育)
PTAでPとTと子ども達が・・・共育・・・・(これは協働的な発想)
これが出来るのがPTAじゃあないのかなって・・・
その共育する機関としてPTAがその存在意義があるのでは?・・・って思います。
PTAには、指導要領も・・・・
法律(PTA施行法とか)もない・・・まして100%正解もない・・・
だからこそ・・・
自由な発想と思いで・・・関わっていけばいいのかなって・・・
その関わり方が大事・・・関わる以上は・・・楽しくが・・・・
片岡小PTA会長時代のいつもの一言・・・ “基本は楽しく!!”・・・でした。