というわけで「家康」。。。
家康といえば「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と詠われているように、忍耐力があって温厚、「信長」「秀吉」に比べてなんとなく地味なイメージがありますが、若かりし家康は必ずしもそうではなかった。
「三方ヶ原の合戦」がその顕著な一例。
圧倒的軍事力を誇る武田軍に自分の城の目の前を悠然と横切られ、ブチきれた家康は負け戦覚悟で突っ込んでいった
結果は大惨敗・・・彼は、命からがら城へ逃げ帰った。
が、しかしこの負け戦によって彼の評価は下がるどころか逆に上がったのである
「この大将なら命を懸けてついていく価値がある」とね。
思うに、「男にはその一生のうちで絶対に引けないときが何度かある。そこでどう出るかでその人間の値打ちが決まる」ってことを家康が身を持って教えてくれたのかなぁって。
僕は彼の生涯でこのときが一番好きなんです。
ついでに言うと、家康はライバルであるはずの信玄を尊敬し、彼の死後は武田の有能な家臣を数多く召抱え、さらに強固な三河軍団を作り上げていったのである。
このへんの地道な土台作りが後の天下統一、しいては磐石の徳川幕府へとつながっていくわけなんですね。
まぁ秀吉没後の家康は、天下をとるためには手段を選ばずって感じであまり好きではありませんが、しかし彼に言わせれば「俺は涙を呑んで秀吉に頭を下げた。当然次は俺の番だろう」って感じだったのでしょう。
信長は部下である光秀に討たれ、その光秀を秀吉が討ち、さらに主君信長の子を討ち、そして家康は秀吉の子を討った。
歴史とはかくもおもしろいものである
家康といえば「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と詠われているように、忍耐力があって温厚、「信長」「秀吉」に比べてなんとなく地味なイメージがありますが、若かりし家康は必ずしもそうではなかった。
「三方ヶ原の合戦」がその顕著な一例。
圧倒的軍事力を誇る武田軍に自分の城の目の前を悠然と横切られ、ブチきれた家康は負け戦覚悟で突っ込んでいった
結果は大惨敗・・・彼は、命からがら城へ逃げ帰った。
が、しかしこの負け戦によって彼の評価は下がるどころか逆に上がったのである
「この大将なら命を懸けてついていく価値がある」とね。
思うに、「男にはその一生のうちで絶対に引けないときが何度かある。そこでどう出るかでその人間の値打ちが決まる」ってことを家康が身を持って教えてくれたのかなぁって。
僕は彼の生涯でこのときが一番好きなんです。
ついでに言うと、家康はライバルであるはずの信玄を尊敬し、彼の死後は武田の有能な家臣を数多く召抱え、さらに強固な三河軍団を作り上げていったのである。
このへんの地道な土台作りが後の天下統一、しいては磐石の徳川幕府へとつながっていくわけなんですね。
まぁ秀吉没後の家康は、天下をとるためには手段を選ばずって感じであまり好きではありませんが、しかし彼に言わせれば「俺は涙を呑んで秀吉に頭を下げた。当然次は俺の番だろう」って感じだったのでしょう。
信長は部下である光秀に討たれ、その光秀を秀吉が討ち、さらに主君信長の子を討ち、そして家康は秀吉の子を討った。
歴史とはかくもおもしろいものである