初めて務めた設計事務所は毎夜が残業だった。
夜の9時、10時は当たり前で、徹夜の日が度々あってGWもお盆も休みなし。
その日の夜も遅くまで黙々と図面を書いていた。
後から先輩の堀田さんのぼやきが聞こえてきた。
「きつかねー、前の設計事務所のときは残業したことなかったよ」
「えっ、ほんとですか」
「6時に帰りよったもん。毎日、家でプリンプリン物語見れたけん」
といって、先輩が歌いだした。
それゆけ、プリン、プリン、プリン~♪
初めて務めた設計事務所は毎夜が残業だった。
夜の9時、10時は当たり前で、徹夜の日が度々あってGWもお盆も休みなし。
その日の夜も遅くまで黙々と図面を書いていた。
後から先輩の堀田さんのぼやきが聞こえてきた。
「きつかねー、前の設計事務所のときは残業したことなかったよ」
「えっ、ほんとですか」
「6時に帰りよったもん。毎日、家でプリンプリン物語見れたけん」
といって、先輩が歌いだした。
それゆけ、プリン、プリン、プリン~♪
小学生のころ「小さな親切運動」ってのが流行った。
授業の一環で毎週どんな小さな親切をしたかをみんなで発表しあう。
たとえば、落ちていたゴミを拾ったとか、お年寄りの手伝いをしたとか、
そういうのだが、のぶひろ君の親切は・・・
「道端にいたアマガエルを池に逃がしてやった」
そら、違うだろ。
昨年のこと。
仕事仲間七人で北陸にいった。
初日に能登半島の老舗旅館に泊まる。
石川の名所をいくつかまわり、日暮れ近くに旅館に着く。
着くなり温泉に入る。
まだ時間が早いせいか浴場の客は少ない。
脱衣場からガラス越しに湯気の中、二、三人の影が見える。
そのうちの一人が動きだす。
浴場の入り口に近づいている。
ガラガラと引き戸が開く。
湯煙とともに60前後の裸の親父が現れる。
戸を閉めるなり、キビキビとした足取りでこちらに向かってくる。
すれ違い様、我々と目が合う。
私の横にいる仲間のTさんを見て、ハッと驚く。
「あら、Tさん!なんでこがんところにおると!」
その裸の親父とTさんは顔見知りだった。
仕事で付き合いのある建設会社の社員だった。
1000kmも離れたこんな遠くの旅館でまっさきに同朋に出会うとは~
33年前。
当時の仕事場。
私の後ろに座っているのは12歳上の先輩堀田さん。
ふと堀田さんの描いている住宅の平面図をのぞく。
2階の「子供室」が「小供室」になっている。
私 「堀田さん、子供室の字はこうでしたっけ」
堀田さん 「あら、「小」やったけ、「子」やったけ。あら、あら、わかんごとなった」
「小供室」は間違いだけど、これはこれでいいような気がした。
縁側の外で少年二人がしゃがみこんでいる。
年のころは10歳くらい。
ひとりの少年がビニール袋を棒状に丸ている。
その先にマッチの炎を近付ける。
「こうちゃん、見て、見て、花火みたいだよ」
ボーーーボッボッボッ。
ビニールの先端が赤い炎をあげて燃え上がる。
生き物のように捻じれながら激しく燃えてゆく。
ボーーーボトボトボト。
炎の中から溶けたビニールが音を立てて落ちてゆく。
さながら凶暴な線香花火のようだ。
「こうちゃん、すごかろ」
こうちゃんは驚いて言葉を失っている。
少年はこうちゃんに燃えているビニール袋を手渡す。
ボーーーボトボトボト。
刺激臭のある白い煙が立ち込める。
「そうだ、もうひとつ作ろう」
少年は縁側の下に置いていた別のビニール袋に手を伸ばす。
少年は夢中になると目先のことしか頭に入らない。
いま横で燃えているビニール袋のことすらもう眼中にない。
ボーーーボトボトボト。
溶けたビニールの滴が落ちるその真下を少年の手が走る。
ボーーーボトボトボト。
燃え上がる滴のひとつが少年の手の甲の上に落ちる。
あ゛ぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
少年は絶叫した。
物凄い熱さだった。
悶絶するほどの熱さだった。
その後、すぐに病院にいったが高温火傷ということで治るのに何か月もかかってしまった。
ちょうど中指の拳の上。
その火傷の痕は40年経ったいまも消えていない。
子供のころの話。
「メロンはここが一番うまかとぞ!」
と、いって、親父がメロンのじゅるじゅるのところを種ごと食べた。
うえっ、と思った。
じゅるじゅるの部分を取り除く私を、親父はバカを見るような目で見つめていた。
あれから40年が経つ。
久しぶりにメロンを食べる親父を見た。
じゅるじゅるのところをスプーンで丁寧に取り除いて食べていた。
20年前。
早朝。
車で2時間かけて目的の釣り場に向かっていた。
魚の活性が高まる朝まずめに間に合うよう5分でも早く釣り場に着きたかった。
釣り場までの距離あと3Km。
なにもない、なにが植えられているかもわからない広大な赤茶けた大地の畑を横切っていた。
道路の前方にポツンと女が立っていた。
手を上げてなにかを訴えている。
私は車のスピードを落とした。
動転した若い女、事故車らしき車。
瞬時に状況が呑みこめた。
車は真新しいスポーツカーだ。
道路脇の盛り上がった土手の藪の中に頭から突っ込んでいた。
おそらくは前面が損傷しているだろう。
スポーツカーの横の草むらにはうずくまる若い男がいた。
女の連れだ。
体育座りで両膝に頭を丸めこむようにしてふさぎ込んでいた。
別段、痛がってもいないし、怪我をしている様子もなかった。
茫然自失というやつだろう。
女は半べそになって狂らんぎみに叫ぶようなものいいで話しかけてきた。
「車を動かしてください」
すみませんとか、お願いしますとかは一切なく、いきなり頼みごとをいってきた。
無関係な私にいう態度ではない。
これは躊躇せざるを得ない。
私ひとりでは動かせない。
大切な釣りの時間が無くなってしまう。
こんな礼儀知らずの女を助けるいわれはない。
と、車の中で葛藤していたら後から車が二台が近づいてきた。
私の車の後ろで二台とも止まった。
彼らが応援するなら仕方がない。
私は車を降りた。
二台の車から二人の頑強そうなおじさんが駆け寄ってきた。
女はなおも、お願いしますも、すみませんもいわない。
半べそをかいたまま棒立ちになっている。
私とおじさん二人は経緯も聞かぬまま藪に突っ込んだ車を動かした。
女は手伝いもしない。
業者に依頼したような他人事のような態度で見つめている。
うずくまった男は顔を上げることもしない。
うずくまったままピクリとも動かない。
車はなんとか道路まで押し上げるとこができた。
ピカピカの新車だった。
若者が好むスポーツカータイプの高級車だった。
正面が無残な状態になっていた。
破損はバンパーからボンネットにまで達しっていた。
それを見た女が悲鳴のような声を上げた。
うずくまる男をキッと睨みつけてこう言った。
「私の車をこの子がぶつけた!」
知るか!
私とおじさん二人は白けた顔でその場を去った。
23年前、西向きのアパートに住んでいた。
夏の西日は強烈だった。
おんぼろエアコンがまったく効かなかった。
当時、給料15万円で家族四人が生活していた。
お金がなかったので、夏の休日は高速道路下の河原か、
観光ホテルのロビーに涼みにいっていた。
貧乏には貧乏の楽しみ方があった。
それはそれで十分満たされた生活だった。
おならが臭いのは今に始まったことではないらしい。
「屁合戦絵巻」1846年作より。
◇ ◇ ◇
大昔の話。
学校を卒業して設計事務所に就職したてのころ。
図面の表記で庇(ひさし)を屁(へ)と書いてしまった。
図面に何か所も屁と書いていた。
自分で気づく前に、上司の前田さんがこれ全部屁になっているよ。
と、真顔で教えてくれた。
前田さんは怒ってもいなかったけど笑ってもいなかった。
私は笑いをこらえて黙々と屁を庇に書き変えた。
高校生のとき、同級生4人で壱岐にキャンプに行った。
小さな岬の原っぱにテントを張った。
4人は岬の磯で思う存分泳いだ。
唇が紫色になるまで泳いだ。
鳥肌が立って、指先がシワシワになるまで泳いだ。
寒くなってとうとう磯に上がった。
4人は自前のタオルで濡れた体を拭いた。
徳島君のタオルは新品だった。
それを見た栗山君がいった。
「徳島、新しいタオルは吸いが悪いからこれを使え」
といって栗山君は自分の使い古しのタオルを徳島君に放った。
たったこれだけの行為なのに、33年経ったいまでも忘れられない。
家で新しいタオルをおろすと、かならずこの言葉が甦えってくる。
「徳島、新しいタオルは吸いが悪いからこれを使え」