時、うつろいやすく

日常のたわいもない話…
だったのが、最近は写真一色になりつつある。

1.『紀元5000年』 死

2009-11-21 19:27:32 | 創作

この宇宙船の乗員は六人。
父母二人と私たち夫婦と子供二人の一家族だけである。
他人とのコミュニケーションはすべて仮想現実に頼っている。
仮想現実とはいっても感覚的には現実とまったく違いはない。
見るもの、聞くもの、触るもの、どれも鮮明で現実と遜色はない。
痛いときは痛いし、心地いいときは心地いい。
状況次第ではひどく落ち込むこともあるし、有頂天になってはしゃぐこともある。
この仮想現実の恩恵で私たちは精神の調和を保っているといってもいいだろう。
なにしろ宇宙船の旅はそこはかとなく長い。
準光速飛行とはいえ恒星間の旅は最短でも数十年から数百年はかかる。
目的を忘れてしまうような長旅である。
旅行感覚で乗船していたらとうてい身が持たない。
宇宙船に永住しているというくらいの覚悟が必要である。
船は永久に劣化することのない生命型自己修復機能が装備されている。
食料は豊富なストックと食品スキャナー装置によって維持されている。
乗員の肉体は生命維持装置によって不老不死を保つようになっている。
私たちは基本的には老化も病もないことになっている。
では、何をしても死なないかというとそうではない。
大事故とかで人体に限度を超えたダメージを受けてしまうと死んでしまう。
残念ながらバンパイアほどの不死身さはない。
ただし、それを補うバックアップ装置はある。
食品スキャナー装置と同じ原理だが、この人体も必要とあらばデーターだけで
バックアップ時の人体に復元することができる。
これはクローンとは違っていて、簡単にいえば分子レベルのスキャナー復元である。
クローンだと成長過程で得られる獲得形質や環境要因よる性格や記憶を復元する
ことはできない。
生体スキャナーだと人体をバックアップした日の状態そのままに復元してしまう。
人間をハードもソフトもそっくり復元してしまうことが可能なのだ。
ちなみに、私の父は二代目である。
一代目の父は、8年前、船内のとある事故で帰らぬ人となった。
事故の直後、悲しみに暮れながら半信半疑で父のデーターをスキャナーにかけた。
ものの数時間で奇跡は起きた。
そこに現れたのは紛れもない父であった。
額に残る小さな痣、首元にある大きなホクロ、眉間の三本のたて皺、白髪混じりの髪、
無精ひげに至るまで生前と寸分たがわぬ父の姿だった。
父は何事もなかったかのように涼しい顔で再生カプセルから出てきた。
興奮した家族の問いかけにも、父は気負うことなく淡々と答えた。
父は記憶も感情も優しさもそのままの父であった。
悲劇は一転して歓喜に変わった。
家族の悲しみは死者の蘇りによって嘘のように消え去ってしまった。
父が元通りに帰ってきたのになんの悲しみがあろう。
隣室にはまだ一代目の父の亡骸が横たわっていたがそれはもう父ではなかった。
父の脱ぎ去った抜け殻に思えた。
死者は形なりにも宇宙葬でおごそかに葬った。
涙するものもいたが、となりに元気な父の姿があっては別れの悲しみは湧いてこなかった。
唯一無二の父はちゃんとそこにいるのだから…
無常にもこの船では、死とは、当事者だけの悲劇になってしまう。
使い捨てられた電化製品のようなわびしい末路を向かえる。
死者に捧げられるのは一夜限りのレクイエムである。

コメント
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