「自分の説き教えることにかなう教会を設立するように…なった」アルマ1:6
毎日の投稿を見てくださる皆さんに感謝しています。
そのことがどれだけ大きな励ましと力になっているか、皆さんに知っていただきたいほどです。
朝、眠くてもそれがあるので起き上がりたくなります。
このメッセージを書くことでもっとも祝福を受けているのはわたし自身です。
でも時々考えます。
「わたしは誉れを求めていないだろうか?」
もし自分の誉れを求めるなら、それは‟自分の教会”を求めることになります。
人は誰でも自分の思いに共感してくれる人を求めます。
それが悪いことだとは思いませんが、共感する者同士が集まり、いくつかのグループができ、
さらにはグループ同士で反目し合うようにさえなるのを、幾度となく見てきました。
‟自分の教会を作る”とはそういうことだと思います。
わたしは「主の教会の内にいたい」と願っています。
そのためには‟自分の思いに叶うこと”ではなく、
‟主の御心に叶うこと”に目を向ける必要があります。
理屈では分かっているつもりなのですが、
危うい所に立っている自分に気づくことがあります。
冷や汗ものです。
それに気づかなければ、もっと危ないのですが…
「自分の教会ではなく、主の教会でありたい」と思わせてくれる御霊に感謝しています。
毎日の投稿を見てくださる皆さんに感謝しています。
そのことがどれだけ大きな励ましと力になっているか、皆さんに知っていただきたいほどです。
朝、眠くてもそれがあるので起き上がりたくなります。
このメッセージを書くことでもっとも祝福を受けているのはわたし自身です。
でも時々考えます。
「わたしは誉れを求めていないだろうか?」
もし自分の誉れを求めるなら、それは‟自分の教会”を求めることになります。
人は誰でも自分の思いに共感してくれる人を求めます。
それが悪いことだとは思いませんが、共感する者同士が集まり、いくつかのグループができ、
さらにはグループ同士で反目し合うようにさえなるのを、幾度となく見てきました。
‟自分の教会を作る”とはそういうことだと思います。
わたしは「主の教会の内にいたい」と願っています。
そのためには‟自分の思いに叶うこと”ではなく、
‟主の御心に叶うこと”に目を向ける必要があります。
理屈では分かっているつもりなのですが、
危うい所に立っている自分に気づくことがあります。
冷や汗ものです。
それに気づかなければ、もっと危ないのですが…
「自分の教会ではなく、主の教会でありたい」と思わせてくれる御霊に感謝しています。