モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

キリストのもとに来る

2020-09-21 06:06:12 | 総大会
>ニーファイは常に主に焦点を当てるならば、主が命じられたことを果たすうえで成功を覚められることを知っていました。

>キリストの焦点を当て続けるとき、わたしたちは平安を感じ、神の奇跡を目にします。

>救い主イエス・キリストに信頼を寄せ、焦点を当てることによってもたらされる平安と慰めを皆が感じられるようにと、指導者は心から願っています。

「キリストに焦点を当てる」ことは「キリストのもとに来る」ための手段であるとようです。
心に「主を覚えている」ときに、その焦点はキリストにあります。


>人々がキリストのもとに来る、或いは戻るための助け手にわたしたちがなれるかどうかは、聖約の道に留まるという個人の決意を通して示すわたしたちの模範に大きく左右されます。

「主を覚える」とは、主と交わした聖約を忘れず、それを保つことです。
神との聖約は”人から神への一方的な約束ではない”ことを知ることも必要です。

「あなたがたがわたしの言うことを行うとき、
主なるわたしはそれに対して義務を負う」教義と聖約82:10

人が聖約を守るときに、主はその約束を果たします。
それは「神の奇跡」と呼ばれますが、
ほとんどの場合、それは”聖約を守った人にしか見えない(理解できない)”ものです。


>わたしたちも困難なことを成し遂げたり、他の人々が同じようにできるよう助けたりすることができます。なぜなら信頼できるのはどなたであるかを知っているからです。

「信用する」とは”信じて用いる”ことです。
「信頼する」とは”信じて頼る(委ねる)”ことです。

わたしたちは主の教えを信用して、その教えを自分の生活に”用いる”ことができます。
例えて言うなら、幸福を得るために主の教えを利用することができます。

さらに、主を信頼して、自分の思い、選び、人生を主に”委ねる”こともできます。
主への信頼は”愛と思いやり=憐れみ”の心として表れるように思えます。


「あなたがたの顔に神の面影を見ているか」アルマ5:14
人がキリストのもとにいるなら、神の面影は”真心からの愛と思いやり”として表れます。

多くの人は神の真理に興味は無いようですが、
愛と思いやりを感じたときには心を動かされるようです。

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