モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

説き明かし

2020-01-21 06:30:03 | 福音について
「あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことは難しい」へブル5:11

「誰かが手引きしてくれなれば、どうして分かりましょう」使徒8:31
わたしたちは聖典を読んで、自分で理解したつもりになっていることがありますが、
理解していることのほとんどは「人の解説」によるものです。

聖典が目の前にあって読むことができても、
書かれていることの意味を説き明かしてくれる人がいなければ、
どれほどの理解を得られるでしょうか。

イエス・キリストの時代に生きて、彼の語る声を聴き、その死と復活に立ち会った人でさえも、
驚きと感動はあったでしょうが、現代のわたしたちほどの知識は持てなかったかもしれません。
そう考えれば、預言者や導いてくれる主の弟子にどれほど感謝することでしょう。

「真理の説き明かし」を受け入れる心がなければ、わたしたちの信仰は前に進むことができません。
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苦痛

2020-01-19 08:10:00 | 今日の一言
行うべきことよりも
温かい布団の中にいる方が喜びであれば
布団から出ることが苦痛になる

家族の喜びよりも
自分の感情のままに生きることが喜びであれば
家族のために尽くすことが苦痛になる

それは、将来の幸せよりも、今の喜びを求める心を表す
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あきらめ

2020-01-19 08:05:21 | 福音について
「あなたは五度も六度も(行う)べきであった…しかし…あなたはそうしなかった」列王下13:19

「祈りの答えを受けようと努力しても答えを受けられなかったのであきらめた」
残念ながら、そんな話を聞くことがあります。
「あきらめなけばならなかった理由」はどこにあるのでしょうか。

「主は心を見る」サムエル上16:7
祈りの答えを受けるためには「イエス・キリストを信じる信仰」が必要です。
「諦めてしまう程度の信仰」でその条件にふさわしいと言えるのでしょうか。

祈りの答えを受けることにはどれだけの価値があるのでしょうか。
10年、20年以上をかけたとしても、それ以上に価値のあるものではないのでしょうか。
数回試しただけであきらめてしまう程度のものなのでしょうか。

「あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂を勝ち取るであろう」ルカ21:19
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幸せになるため

2020-01-18 06:10:34 | 福音について
「神と和らいで平安を得るがよい、そうすれば幸福があなたに来る」ヨブ22:21

幸せな場面を想像してください。そこにあるものは何でしょうか。
明るい笑顔、穏やかな心、優しい言葉、思いやり、慈しみ…等々。
それらはすべて福音が勧めているものです。

その場に似つかわしくないものは何でしょうか。
苛立ち、怒り、乱暴な言葉、敵意、争い、偽り…等々。
それらは福音が避けるようにと警告しているものです。

幸せになりたければ、福音の中から幸せに役立つと思えるものを、
生活に取り入れて、実際に行ってみることをお勧めします。
理解できないことは避けておいて、分かり易い、簡単な、小さなことから始めればよいのです。

福音は幸せになるための教えであり、そこには幸せを望む人への助けと導きがあります。
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考える

2020-01-16 06:09:19 | 福音について
「よく考えて見なさい、主はそれを十分に理解する力をあなたに賜るであろう」2テモテ2:7

啓示には何も考えていないときに与えられるものと、
何かを考えているときに与えられるものがあります。
自分の考えていることについて与えられる啓示は感じやすく、理解しやすいものです。

そのような時には、考えていること自体が啓示によって与えられたものであることが多いようです。
もしもそうなら、その考えは主の御心に沿ったものであり、だから応えを受けることが簡単であり、
それは「主の御霊との会話」と呼ぶにふさわしいものです。

この祝福は福音について深く考えているときにもたらされることが多いようです。
福音そのものが主の御心によって与えられたものですから、
啓示を受けやすく、理解しやすく、それは御霊との楽しい会話となります。

「わたしたちに聖文が与えられている目的はここにある」と言っても過言ではありません。
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