モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

やる気

2020-02-02 07:29:47 | 今日の一言
上手くできなくても
やる気があれば助けようがあるし
それを楽しむこともできる

本人にやる気がないなら
助けようがない



「やる気のある人を助けることができる」のはとても楽しいものです。
少しでも成長を見ることができれば、共に喜び合うことができます。
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狭い門

2020-02-02 06:53:29 | 福音について
「狭い門から入れ、滅びに至る門は大きく…そこから入って行く者が多い」マタイ7:13

「救いに至る門が狭い」とはどういう意味なのでしょうか。
「定員がある」とか「多くの人々が救いに至ることがないように」ということでしょうか。
そうではなく、「目を逸らせる誘惑」に多くの人が気を取られているからです。

主の救いを信じない人であればまだしも、主を信じていると口にしながらも、
福音から心を引き離してしまう誘惑に心を奪われていることはないでしょうか。
主の救いを忘れ、心が離れてしまっても、それを認めようとしないことさえあります。

「幸せを追い求めている」と言いながら、それに逆行する行いをすることもあります。
乱暴な言葉遣い、批判に集中して赦そうとしない、思いやることをしない…
このような行いと感情が「救いに至る門」を狭め、見失わせてしまいます。

福音は「救いに至る門」明確に示しており、望みさえあれば誰でも行えることです。
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キリストの身体

2020-02-01 06:06:17 | 福音について
「みんなが使徒だろうか…預言者…教師だろうか…力ある業を行う者だろうか」1コリント12:29

教会の指導者はいつも励ましの言葉を語り、人々はそれに従おうとします。
しかし、その励ましがプレッシャーになり、ストレスになり、自己嫌悪を感じる人もあります。
そういった人々への慰め、フォローは誰がするのでしょうか。

みんなが指導者の言葉に従おうとして励まし合うのはよいことです。
それと同時に「従うことに難しさを感じている人」の話に耳を傾け、
その思いに寄り添うことも必要ではないのでしょうか。

「信仰があれば、主の助けがあります」の言葉だけでは解決しないこともあるのです。
そのような問題を感じている人が「口をつぐまなければならない雰囲気」があるとしたら、
そこに愛や思いやり、慰め、癒しはありますか。

キリストの身体には、励ます人も、慰める人も、耳を傾け、共に歩む人も必要なのです。
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