モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 11月25日

2023-11-25 05:58:10 | 総大会
「神を試みてはならないと…書いてある」マタイ4:7
(少々長くなります)

この教えはよく誤解されているみたいです。
イエスに神を試みるように命じたのは誰でしょう。
サタンでした。

元になる聖句にはこうあります。
「あなたが方がマッサでしたように…神を試みてはならない」申命記6:16
何があったのかは記されていませんが、
神の御心に反する行いであったことは容易に想像できます。

他のものも見てみましょう。
「己が欲のために…神を試みた」詩篇78:18
「彼らはいと高き神を試み、これに背いて」詩篇78:56
他にも詩篇78:41、詩篇106:14などがあります。
チェックしていただければ幸いです。

これらは‟サタンの誘惑に従い、神の御心に反して、
神を試みてはならない”と戒める教えです。
少し考えれば誰にも理解できると思います。
ところが、「すべてのことにおいて神を試みてはならない」と
誤解されていることがあるようです。

宣教師はよくこう勧めます。
「祈っていただけませんか?」
「モルモン書を読んでいただけませんか?」
それは‟試してください”という意味です。
何を試すのでしょう。
キリストの教えが真実かどうか、
つまり神を試みるように勧めています。

モロナイの約束はどうでしょう。
明らかに神を試みるように勧めています。

‟信仰の試し”とは、神が人の信仰を試みるときに
よく用いられる言葉です。
でも、その逆も考えることができないでしょうか。
わたしたちも信仰を試します。
そのとき人は神を試みています。

…とここまでは人の教えです。
ここで納得されるとちょっと困ります。
また、異論反論もあると思います。
でも言い争う気はありません。

御霊に頼る心があるなら祈り尋ねてみませんか。
もっとも確実な解決方法です。

それとも「試みてはならない」と思いますか?
もちろん皆さんの自由です。
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総大会 11月24日

2023-11-24 05:49:32 | 総大会
「その過程には、単に知識を得ること以上のことが求められます」
(栄光の王国 オークス管長)

人の教えを信じるのと御霊に頼るのには
違いがあるように感じます。

人の教えを信じるとき「これが正しい」と
決めつけてしまいやすい傾向があるようです。

御霊に頼るときは
「自分はまだ真理に至っていない」と感じます。
そこに永遠の行く末が見えるからです。

人の教えを否定するつもりはありません。
普通は誰でもそこからスタートします。
わたしの信仰の始まりは
宣教師の言葉を信じることからでした。

福音は祈り、御霊に頼るように勧めています。
人の教えには限界があるからです。
永遠を理解するためには必要ではないでしょうか。

‟人の教えと御霊に頼る”ことについて、
三つほどの例を挙げてみたいと思います。

・神を試みる
・戒めと罪
・信じる
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総大会 11月23日

2023-11-23 06:53:45 | 総大会
「皆さんは…どの栄光の王国…に生きるのかを自分で選ぶのです」
(栄光の王国 オークス管長)

職場でこんな会話をしました。
「最近、朝がつらくて…」
 「寒くなってきたからですね」
「まぁ、それもあるけれど、一日を考えると憂鬱で…」

朝目覚めると、まず最初に祈ります。
「天のお父様、
 今日も一日を始めることができます。
 感謝します。」
数十年続けてきた決まり文句の祈りです。
いつの頃からか、その感謝は口先だけでなく、
正直な気持ちになってきました。

一日を憂鬱な気分で始めますか。
それとも感謝して始めますか。

僅かそれだけのことです。
たったそれだけのことが気持ちを少しだけ、
一日を少しだけ変えるようです。
それが毎日続けば永遠が変わります。
永遠の行く末を選ぶとはそういうことではないのでしょうか。

祈りの祝福はこんなところにもあるんだと、改めて考えました。
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総大会 11月22日

2023-11-22 05:46:23 | 総大会
「その苦しみは後に続く出来事への備えとなります」
(栄光の王国 オークス管長)

誰でもそうだと思いますが、
これまでの人生を振り返ってみると、
喜びのときも苦しみのときもありました。

喜びのときには戻れるものなら戻りたいですね。
苦しみときは二度と御免です。

喜びは想い出を豊かにし、
苦しみは人生に教訓をもたらしてくれました。
そのようにして育てられたと感じています。

どちらも‟必要で与えられた”のではないでしょうか。
それも絶妙なバランスで。

そう考えれば、どちらにも感謝ししたい気持ちです。
それでもやっぱり、苦しみもう勘弁してほしいです w
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総大会 11月21日

2023-11-21 06:01:56 | 総大会
「教義の中で何よりも重要なのは…天の御父が…わたしたち全員が永遠に栄光の王国で暮らすよう望んでおられるという事実です」
(栄光の王国 オークス管長)

「主を信じているけれど、わたしに昇栄は無理だと思います。」
そんな声を聞くことがあります。
主を信じる心を否定するつもりはありません。
でも、キリストの救いを信じる気持ちは少ないようです。

「あなたはどうなのですか?」
そうですね。
正直なところ、昇栄できるかどうかは分かりません。
それはわたしの力ではなく、
主の御心によって与えられるものだからです。

ただ、主はすべての人が昇栄するように望んでいると信じています。
それに応えたいと願っています。
ですから自分にできる精一杯を行い、あとは主に委ねるだけです。

あきらめる気持ちはありません。
行けるところまで行けば、それで満足できると思います。
行けるところまで行かなければ、後悔することになるでしょうね。
その程度の人間だし、その程度の信仰です。
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