モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 2月23日

2025-02-23 05:43:10 | 総大会
「我々は…理解していると思っていましたが、それは違いました」
(霊的な疑問への答えを探し求める ブラウニング姉妹)

「福音が真実であると知っています」と聞くことがあります。
批判するつもりはありませんが、時々疑問に感じます。
無理を感じることがあるのはわたしだけでしょうか。

祈りに応える相手があることは確かです。
その方を神様と呼んでいます。
でも、その相手についてほとんど何も知りません。

福音は確かに喜びをもたらします。
でも、理解できないことも少なくありません。
信じるために努力しているというレベルです。

その程度の信仰です。
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総大会より 2月22日

2025-02-22 06:09:07 | 総大会
「神が愛してくださっているので、わたしたちも…愛するように努めます」
(わたしがそれである ホランド長老)

神の愛を感じられるとしたら、それは“神から与えられた奇跡”です。

感じたことのない人は否定するかもしれません。
それは不思議なことではありません。
信仰があって初めて理解できることだからです。

その信仰も奇跡です。
神の賜物として与えられたものだからです。
それを知っているなら感謝せずにはいられないでしょう。
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総大会より 2月21日

2025-02-21 06:22:21 | 総大会
「誰を探しているのか」
( わたしがそれである ホランド長老)

「『ナザレのイエスを』…『わたしがそれである』…彼らは後ろに引きさがって倒れました」
なぜ倒れたのでしょう。
イエスと戦おうとしていたからです。

「『ナザレのイエスを』…『わたしがそれである』…わたしたちは膝をかがめ…告白するのです」
なぜ膝をかがめるのでしょう。
主を愛しているからです。

何を告白しますか。
「わが主よ、わたしはあなたを探し求め、そのためだけに生きてきました」
いざその時になれば、たぶん言葉にはならないでしょうね。

その喜びはどれほどのものでしょうか。
想像するだけで胸が熱くなります。
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総大会より 2月20日

2025-02-20 05:47:13 | 総大会
「背教は二つの基本的なレベル、組織と個人で起こります」
(わずか数年で べドナー長老)

「組織的なレベルでは、末日聖徒イエス・キリスト教会は背教によって失われることも、地上から取り去られることもありません」
こちらは安心していいようですね。

「個人的レベルでは、一人ひとりが昔のニーファイ人のようにならないよう高慢に気をつけなければなりません」
こちらが問題のようです。

「自分には高慢による傲慢さを避ける十分な強さと忠誠心があると思い込んでいるなら,すでにこの致命的な霊的な病におかされているかもしれません。簡単に言えば…無防備で霊的な危険にさらされているということです。わずか数日…で霊的な生得権を失うかもしれません。」
…だそうです。

「毎日モルモン書を読んで、いつも祈っているし、
バプテスマを受けて、信仰もあるし、
充分に悔い改めたし、毎週聖餐を受けて、
定期的に神殿にも行っているから、十分でしょ!」

そんな思いのことでしょうか。
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総大会より 2月19日

2025-02-19 06:07:43 | 総大会
「忠実でなければ、神から与えられた…祝福が…高慢という呪いに変わってしまいます」
(わずか数年で べドナー長老)

「福音に忠実であればこの世のことでも成功者になれる」
そう信じている人もあるようです。
教会の著名な指導者を見ると、様々な分野で成功を収めている人たちみたいです。
もちろん、そのような成功者に憧れます。

でも、もしもわたしがそんな成功を得たら、きっと主の業を後回しにするようになるでしょうね。
「神から与えられた祝福が高慢という呪いに…」
まさにその通りなりそうです。
それを考えると、わたしにとっては今くらいが祝福なのかもしれません。

失敗によって忠実を試されることもあり、
成功によって忠実を試されることもあるようです。
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