古びた階段を上る前に一息。
昔のつくりだからか、一段一段が緩やかな動線を描き、地上へ向かってゆく。
えっと、このくらい足をあげればよいのかしら?とイメージを浮かべる。
よいしょっと。
なぜか、いつも、不安定な方の、左側の足からすべてをはじめていることにふと気付く。
階段の上り下り、
1日の、最初の一歩も、
ベッドから起き上がる動作、
その他、もろもろ。
湯島まで来なければ気付かなかったことだった。
自分の動作なのに、まるで他人事のよう。
へぇ~左側って、意思どおりに動いてないじゃん。
というよりも、自分が思っているよりも、左足が肉の塊でしかない事実に今更ながらに驚愕。
微弱な電気が走っている感覚。
ただぶら下がっている棒みたい。
だからといってその代役を右足がしているわけでもない。
不思議。
気付いたからといって別段、ショックを受けるわけでもなく。
さて、なぜ湯島なのか・・・の説明としては、単純明解で、この近辺に友人宅があるからだ。
若いご夫婦で経営しているメゾネットタイプのデザインとコーヒーに凝ったカフェで一杯、
その後、根津へ移動し、本日2軒目となるカフェへ。
そして、そこで事件は起こった。
突然にして。
何の前触れもなく、心の準備をする余裕も与えてはくれず。
店内にはアーティストは不明なものの、
美しく仕上げられたサマータイム”が心地よいメロディで、空間をさらさらと流れていく。
日本は秋、
先日、片見月では縁起が悪いという江戸からの風習を、江戸っ子を集めて月見をした。
ゆらゆうらと揺り篭のように海面に浮かぶヨットの上で。
デッキに寝そべって夜空を眺めていると、意味もなく涙が溢れ出した。
そして、わんわんと子供のように嗚咽を漏らして泣いていた。
まるで宙(そら)と情を交わしたような、不思議な感覚が心身を貫いていった。
幸福感にいつまでも漂っている感覚。
希求する領域に強く強く抱きしめられているような安心感、余計な力を抜いていいよという合図。
緋色のカップに注がれたハイビスカスティーを啜っていると、
行ってくればいいよ、と話を切り出す友人。
えっ?と私。
日本語が、状況がうまく把握できない。
とりあえず出た言葉は、なぜ?だった。
首を斜め45度に傾けたまま、友人を見つめるのが精一杯な状況。
なにが起こったのだろう・・・・・・
両手が、身体が、心が震えて、水すら喉をとおらない。
なぜ?
なに?
満額まですこし足りないのだけど・・・・・と何度も頭を下げる友人を呆然と眺める私。
今度はなぜ謝られているのかがわからない。
友人は満面の笑みを浮かべながら、資金や時間が、将来がどうの・・・を問題にするのではなく、
留学できる心境でいるうちに行っておいで。
ひとつ新しい経験を重ねるスタンスでいいんじゃないの?
それがいつか役に立てば儲けもんくらいに思えば。
障害を負わせていただいたことで、私は痛みや不具合と引き換えに、大切な時間を得た。
そして、学びたいと思ういくつかの方向性の先には、常に頭の片隅に、ヒダに引っ掛かったように、
社会復帰”や生涯現役”や人のためになる仕事”との自分の位置づけや立ち位置が存在する。
篩(ふる)いに残存する友人・知人たちからの支えの威力も、恩恵も、ご厚意にも、
幾度となく折れた心を拾い上げられたことかわからない。
にもかかわらず、留学費用の工面を、ただ長い付き合いだから当然だとさらりと言う友人が
私には神様にしかみえない。
きっと厚みのある封を開けることはできないと思う。
それは、有難さと、気持ちの重みや深み、もしかしたら多少の後ろめたさがあるためかもしれない。
※タイトルの「私が出す」はある映画から引用したものです。
ご了承を。