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脳機能障害(高次脳機能障害)講演会に参加して

2009年11月26日 22時37分58秒 | エッセイ、随筆、小説




某区、某所、某家族会主催にて開催。
高次脳機能障害を患う患者または家族、東京都をはじめとする行政の担当者が参加する。

リハビリという科目が医学部に二箇所しかなかった時代、
昭和54年、そのひとつの医学部にてリハビリを学んだ医師が講師として壇上に立つ。
第一印象はといえば、一度ゆっくりと話をしてみたいと思う、私好みの風格あるドクターだった。
続いて、高次脳機能障害者に関与する医療従事者や家族から情報が開示される。

まず、この障害の当事者として感じたことを率直に記録したいと思う。
これは個人的な私見であるために、他者の意見と同等であるなどという誤解は避けて頂けたらと願う。
また企画を実行した家族会の方々のご尽力にも心から感謝申し上げたい。

さて、高次脳機能障害が熟知できない理由は、個々の症状の差異がさまざまであること、
次に、高齢者と若年層が抱える問題や課題の相違、
性別、移住地、発症原因によって、一律に語れる障害ではないことを先に書き記したいと思う。
また私のケースは「若年層」「女性」「交通事故」がキーワードにあがる。
その立場から講演会に参加した感想になることをどうかご理解ください。

医師も言っていたことだが、若年層が高次脳機能障害を発症するケースは、
主に交通事故、スポーツ外傷、転倒、転落などだといわれる。
高齢者の場合は脳梗塞などの病気の後遺症(特に手術をしたケースに多いらしい)の合併症として
高次脳機能障害が発生するケースがみられるが、実体は誰もこの国で把握できていないのが現実だ。

医師曰く、若年層が障害者となった場合、社会復帰の困難さ、結婚や妊娠、育児などの最中など
人生を大きく狂わされる結果に陥るのだという。
若年層の場合は治り難く、特に耐性が必須となり、
目に見えた快復となると十年単位で取り組むケースも稀ではないという話に愕然とした。
また社会復帰率がゼロに近い数字である事実も、私を簡単に奈落に落とす現実でもあった。

家族会に参加している多くは女性であったので、高次脳機能障害者は男性で、
病気での発症が主原因だとすぐにわかった。
高次脳機能障害の当事者、特に若年層、女性、交通事故被害者の参加者は私のみで、
置かれている現実がまったく相違するのだと痛感させられた。
というか、参加したことを後悔させられる内容が含まれていたために、
その後、体調が悪化、病院で吐き気が止まるまで点滴を受ける羽目になった。
それは以下のとおりだ。

あるケーススタディとして、対象者は高齢者、男性、脳卒中の後遺症として高次脳機能障害を発症。
彼の快復におけるプリントと上映が行われた中で、
介護者である妻と娘がヘルメットを被らないと暴力に耐えられない状況であった対象者が、
エロ本を見た瞬間、にこにこと笑顔を浮かべ大人しくなったことを発表するのだが、
エロ本が丸見えで、若い女性の裸が画面に映し出された瞬間に、私は吐き気を覚えたのだ。
ふと、セックスボランティアという本の内容を思い出した(障害者の性における内容)。

配慮がないと腹立たしく思った。
女性参加者も、しかも障害者もいることを知っている中で、
高齢者が若い女性の裸を見て笑顔を浮かべたなどと言ったら、
アムネスティなど女性人権団体は即刻抗議するだろうと思った。
若い男性が、特に性の処理に困っている・・・・・・というのであれば、また違ったのかもしれない。
高齢者だから性に関心を持つな、というつもりも毛頭ないことを伝えておく。

けれど、誤解を与えないのだろうか?
私は講演の内容を事前に知っていたなら・・・・・・
エロ本を与えると大人しくなるという障害者の存在を知り、寒々とした心境に陥った。
家族は大人しくなればいいと思い、その状況を安易に発表して、
男性障害者を抱える家族に向け、笑ってもらえるくらいに思ったのだろう。
が、当事者として参加している私を含め目の届く距離に着席していた方々は、
男性であっても不快な表情を浮かべていた。
障害者を持っているからといって、同じ障害だからといって、わかりあえるとは限らない現実を
ここでも見せ付けられた気持ちになって、どっと疲れが押し寄せてきた感が否めない。

障害者を何度も殺そうと思った、どれだけ金がかかったかわからないなどという
家族としての苦労を無視するつもりは私はない。
が、障害者を殺したいと何度も思った・・・という話を聞かされる障害者は、
その発言に対して、なんと答えればいいのか、どんな表情を、感情を抱けばいいのかと困惑をするのだ。
私たち障害者は、そうした暴言を浴びせられるたびに、心を凍らせ、感情を押し殺し、
なにもなかったこと、聞かなかったものとして、生きていることを知っているのだろうかと疑問に思った。

ちなみに若年層が受けられる介護サービスはないそうだ。
私の場合も介護3(6段階)という認定は受けたものの、それは外出する際に適用するものであって、
家事や食事介助などは家族がなぜ行えないのかという問題が、
無駄な議論として時間を費やしたと担当者から聞いて愕然とした。

現役として仕事を持っている家族が私の面倒を見れるのか?
朝から晩まで大学やアルバイト(通学費などを稼ぐため)に時間を費やす娘がどうやって、
私の介助ができるというのか。
結局は共倒れするのは、時間の問題になるだけの話だ。
もしくは自責に駆られた私が自殺するしか問題を解消する術はないだろう。

この国にはなにかが足りない。
それは当事者として障害者の介護にあたる家族ですら気付いてない問題なのだと感じた。
女性が、しかも若年層が障害者になった場合の視点が抜け落ちている。
そして、女性を性の対象として公然に扱う無神経さにもショックを隠せない。
患者はもっと深刻であることが、家族にすら伝わりきれていないのかと感じる場面が多々あった。
残留するのは疑問だけだ。










高次脳機能障害者と医療従事者との温度差

2009年11月26日 11時31分04秒 | エッセイ、随筆、小説




日本に目を向けて見るのもいいんじゃないですか?との言葉が脳裏から離れなかった。
私の記憶違いでなければ、2週間程前、交通事故の被害者を集めたグループセラピーの際に
もしリハビリを学べる施設や学校が米国内であれば、教えて欲しいのですが・・・”の回答が上記だ。

海外に目が向いているわけではないと思った。
致し方なく、が私の本音なのだから。
東京都には約5万人に近い高次脳機能障害者が存在して、年間約1万人以上の患者が増加している。
がしかし、いまだに高次脳機能障害という名称すら知らないドクターは少なくなく、
そこに関与する従事者にも、理解されているかと問われたなら、私は首を傾げるだろう。

私は聞いた。
「なぜ、日本に目を向けた方がいいのかという理由がああれば教えてください」と。
彼女は言った。
「○○クラブとか、家族会とか、そういったところに参加してみるのもいいんじゃないかと思ったので」と。

私は自身が抱えた高次脳機能障害を当事者として学問として、学びたいと思っているだけだ。
しかし悲しいかな日本では、専門的な勉強ができる大学も機関も存在しないのが現実。
リハビリや障害者の社会復帰に積極的に取り組むアメリカの状況や知恵を
拝借して、ぜひ、日本でそれを生かしたいと思うのは、自分のためでもある。

グループセラピーに参加している重度高次脳機能障害者である若い女性が口火を切った。
「私は親が面倒を見てくれていますが、親がいつまでも面倒をみれるとは思っていないし、
交通事故さえなければ親の人生も変えずに済んだという自責にかられるし、
そうした心無い言葉をぶつけられることもあります。
だから、このまま一生、障害者として誰かの世話になって生きられるなどという甘い考えはありません」

私も他の参加者も頷いていた。
リハビリやセラピーを否定しているわけでは毛頭ない。
が、私たちが抱える問題や課題を理解していないかのような発言が続いたため、
比較する次元が違うと言いかけてやめた内容がある。

臨床心理士の親戚に重度障害者がいるらしく、その子と私たちを比較した場合、
社会復帰を考えられるだけまし・・・・・親戚の子はそんなことすら考えられる状況にないので、と。

障害や不具合を抱え生きていかなければならない私たちの思いは、
決して今日にはじまったわけではない。
他人や他疾患などと比較するものでもなく、個人個人の生活背景や受傷または発症要因が相違し、
その中でも患者に寄り添う姿勢”すらあれば、それ自体がセラピーの意味を持つのだと思うが。
現実は議論のような、心理士の抱える問題ばかりが前のめりになり、
消化できないものを抱えている人などいないとは思う。
が、同時にそうした問題を抱えている人が医療現場に存在する場合、
患者である私たちにとって決して環境的に恵まれているとは思えない状況に陥る。

アメリカでしか勉強できる大学も機関もないことをご存知ですか?
もし日本で勉強できるのであれば、私は日本にいたいと思っていますが・・・・と言葉を加えた。
心理士は「そうですね、アメリカしかありませんね・・・・」と小さくて蚊の鳴くような声で返答する。
なら、無責任に、日本に目を向けてみるのもいいんじゃないか、などと言うべきでないと思う。

見えない障害だとわかって接している人たちですら、私たちの異常には気付かない。
なぜ、セラピーの題目ができないのかは、他の作品や課題を比較すれば一目瞭然のはずだ。
が、それが見えない。
もしかしたら見ようとしていないのかもしれないとさえ感じる。

言うまでもなく、セラピーに参加した患者は全員、その後体調を崩した。
首を背中の激痛に襲われ、それは1日経過した今でも、軽減する様子は見せない。
そうした現状をどうすれば理解してもらいやすいのかと考え続ける私がいる。
空を、青く高い、その向こうに広がる宇宙を見つめ、ため息がひとつふたつと口元から漏れ出してしまう。