風の生まれる場所

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“山谷の夏祭り”カンパ

2011年08月07日 15時42分19秒 | エッセイ、随筆、小説

「いつでも雇えて、いつでも首を切れる」
労働者として生きることを強いられている人は、
いまの日本には溢れかえっている。

それは自己責任などではなく、産業界の要請だ。
派遣労働者の実態を追うと、
ワーキングプア、働いても豊かになれない人たちへたどり着く。
そして、孤独死という最期を迎える無縁社会の問題へ。
先に話題となった年金不正受給問題も、いまの日本を炙り出す。
真面目に働いても豊かになれないのはなぜか。
それは、原発の闇を垣間見ることに等しい。
なぜなら、この国は利権を手中に収めているか否かが、
金のあるなし、仕事のあるなしの差異を生み出すひとつであるからだ。

山谷から南へ4キロの地点で、
わたしは労働者から一枚のチラシを受け取った。
そこには台東区にある珠姫公園で夏祭りをやるための運営費や炊き出しの米、食料品、
男性用夏物の衣類が足りないと記載されている。
そして、わたしは違和感に包まれた。
雷雨が過ぎ去るのを待つために入ったカフェでも疑問に出会った。
福島はいまだ終息していない節電が騒がれている最中にもかかわらず、
冷房の効きすぎるエクセルシオールカフェに入った。
鳥肌で肌の表面がでこぼこと歪で気持ちが悪い。

さて、夏祭り開催へのカンパの件。
わたしは夏祭りをするなとは言わない。
楽しむ権利を奪うつもりもない。
けれど、わたしがカンパしなかった理由は単純だ。
夏祭りの運営費をカンパで市民の懐に訴えかける前に、
その資金を継続した仕事を捻出することに使うのが先ではないか。
普通なら、食べるものがないときには、金がかからないような工夫をし、節約を考える。
炊き出しの協力ならわかるが、夏祭りというのは違和感や疑問を生み出しただけに過ぎなかった。

ぶるぶると震えるほど冷えたカフェの片隅で、
凍えてシワだらけになった指先をぼんやりと眺めた。
もしかしたら、わたしは日本が嫌いなのだということに気付きながら。









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