まるでお父さんみたいね。
世の中うまくできているね、と私は笑った。
それは結果でしか証明することができない正負を示す記号のようなものだけど、
彼とのメールのやりとりに、
何が心配なんだろう?と娘は心情を理解しきれていない様子。
大切なものが大切だと気付くとき、
それを失った後では取り返しのつかないこと、
世の中には謝って済むことと済まないこと、
取り返しのつくこととつかないことが同じ世界に同じだけ存在することを
よく考えてみて、と言葉だけを残しダイニングを後にした。
大学受験を再来年に控え、
オープンキャンパスに費やす夏休み課題を娘と彼に出した。
彼から提案される娘の進学先名はすべて女子大であったことに気付いたとき、
私は思わず噴出して爆笑してしまった。
男って、なんてお馬鹿で可愛いのって。
当初、英語の成績のよい娘へは留学を推薦した。
もしくは百万円の資金で、その資金が続く限り世界をひとりで渡り歩き、
各国の友人宅をチェックポイントにして、
彼らの国や仕事や生き方を学習してくるように、と。
現役で大学進学をして、そのまま企業に就職することが、
娘の性格を考慮した場合、適当ではないと私には思える。
まして、新卒を担当していた私が元企業を垣間見ていると、
なんのために働くのか、
生きるために食べるのか、
食べるために生きるのかを、
今の若い感性で、じっくり時間をかけて、
長い人生と向き合って欲しいと祈りにも似た思いを抱いてしまうためだ。
親として、父親の役割も母親の役割もしてきた私の出した結論だ。
世の中をみなさい。
みえないものまでみえるように、感じられるようになってはじめて
理解できる事柄に触れる資格を得られるのだから、と。
その話を彼にしたらしく、
やっぱりまいちゃん(私の呼称)は最強だと言ったらしい。
同時に今までみたことのないふさぎこみ方をして、
寂しさに包まれた表情の中で、深いため息を吐いたそうだ。
中華街の食べ歩きとか、ディズニーランドへの話題へシフトさせ、
普段は感情を露に出さないクールな娘ですら、
その心中の感情にうろたえ胸がちくちくと痛んだと言った。
先日、彼のお母さんから電話をいただいた。
その際、彼の優しさや感触や手ごたえを私なりに理解できた気がした。
こころもちと言ってもいい。
こんなに素敵なお母さんに育てられて、
あんなに優しい気配りのできる感性豊かな少年に仕上がり、
それに比べ、うちは・・・・・・といったところで、
お互い様ですよ、とお母さんは助け舟を出すように笑った。
お嬢さん、素直で明るくてと言ってくれた。
嬉しかった。
けれど、あのクールさの中には強情や頑固がしっかりと根付いていて、
食べるものにも盛り付けにもうるさいし、
一言一言がきつくて直球で、と心の中で思った。
あっ、これは私そのものだ。もしかしなくても。
彼が深いため息を吐いた理由は、
私たちと離れたくないためだということくらいすぐにわかった。
一時期でも離れたくないほど、私たちは愛されてしまったらしい。
私も彼をすでに息子のように取り扱い、
悩みを打ち明け(大したものではないのだけど)、
ひとりの男として頼りにしている。
きっと、それが彼の性格や正義感には善く作用し、
お互いが欠如している部分を補っているのだろうと思った。
彼のご両親は会社を経営しているらしく、
多忙のあまり面倒がみれなかったことを、
後悔の気持ちや反省点を、お母さんは私へすこしだけこぼした。
その頃、私は鳥になっていた。
友達のNちゃんへ娘が相談があると言って、
大小の背中を眺めながら、聞き耳を立てていた記憶がある。
ねぇ、まいちゃんは夕方あたりから鳥になって飛んでいってしまうの。
夜遊びの共犯者であるNちゃんは押し黙ったまま、
子供の柔らかな髪を撫でながら、
大人になったら一緒に鳥になろうね、と娘を諭していた。
子育てとはきっと、大人が育つための調度品だ。
未熟さを正すための、気付かせるための、一喜一憂する中から、
人間として心を深くよせるための時間なのだろう。
万葉集(奈良時代)には
豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す高い歌が多い。
深海松の深めて思へど (万葉集《2》)