風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

苦悩・・・・

2008年04月07日 21時33分21秒 | エッセイ、随筆、小説

 

書けない、読めない・・・・・

今までも集中力が低下することは経験済みでも、ここまでひどい状況ははじめてだ。

その自覚があるのがまたしんどい。

記憶そのものがないのであれば自分の変化にも気づかないのだろうけど、

書けない、読めない・・・・・が瞬時に「自分であるのに、自分ではない」と理解できてしまうため、

「できるとき」と「でき
ないとき」の差を、目前に、これでもかっ!!と印籠を突きつけられると、

「ははぁ~、水戸のご老公、申し訳ございません~」となる。


が、それでは済まない。

そこが性質が悪いのだろうが(性格か?)、これでもか!!と足掻くのだ。

手足をバタつかせればつかせただけ、波が立つ、沈む。

浮上するのに相当の消耗を覚悟しなければならないのだ。

いや、恐ろしいことだ。



なにかをはじめようとする、構想する、という時点で、無理が生じていると

主治医から指摘を受けたとき、私はなるほどなぁ~と思った。

療養の意味は静かに、穏やかに、心身を休めることに意義があるのだと重々承知しているが、

それができないから、本人は苦悩する。



いっそのこと、体に激痛が走って動けなくなれば、必然と動きたくても無理になる。

が、それを経験してきた者にとっては、それも地獄だった。

今はただ「静の時間の使い方によって、動へのシフト時が力になる」という知人の言葉を信じて

部屋の中をうろうろと動き回ったり、ヨガをしたり、ZENを、CAのセラピストに知恵を借りたり。

できるだけ平静を保とうと努力しているが、その「努力」自体が邪魔なのだ。

自覚はある。



このまま自分がどうなってしまうのだろうと思いながらも、

もうひとりの自分がそれを観察している。

その間、つまりその余裕がある間はまだ大丈夫だろうと思うのだが、

やっぱりバランスが悪いということは、にがにがしく、難儀だ。

人間だから仕方ないのだと自分には言い聞かせているものの、

もうひとりの私は、両手で耳を塞ぎ、そうした話にも一切耳を貸そうとはしない。

 


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