今日はいろいろな疲れがまとめてやってきた。
子犬の世話をしているとき、ふと思った。
もし子供を産んでいても、育てることには限界がきただろう、と。
だから、この子がきて、この子でもこんなに大変なのよ、と
しっかりとした諦めと自覚をさせるように私に促しているようにも思えた。
そのような状況が続き、疲労困憊し、起きている自体が辛かったので
「移動に耐える体力もないので、今日の点滴はお休みします」と病院へ電話した。
すると「まだ受付まで二時間もあるので、そんなときこそ点滴しなくては・・・」と言われ
起き上がることが苦痛なので、点滴をした後、帰宅する気力体力もないと思います」と。
けれど、食い下がらない医療者は「来てください」の一点張りで、
空港で倒れたときは『外来診察時間外』で救急扱いではなく他院への搬送を勧め、
外来診察時間内なら「来てください、必ず!!」と言って一歩も引かない。
そのやりとりだけで疲労困憊だ。
「いける状況になればそのときはお願いします」と伝えても、
「必ず・・・・」
その一言は体調の悪いときこそ、核爆弾のようにすべてを破壊する。
起き上がれない、揺れに耐えられない、でも入院はできない、一泊も含めだ。
通院できるということはまだそれでも体調がいいときに限るのであって、
点滴は気休めに行っているわけではないことを理解して欲しいと今日ほど思ったことはない。
さて、今日は「脳脊髄液減少症」について、
他の大学病院での取り扱いや検査のみの依頼でも引き受けてくれるかどうかを
電話にて確認する作業に終始した。
研究チームの代表である某大学病院での見解含め、
某医学学会で口演を行った某大学病院ですらその取り扱いはなく、
すべて独自の研究であることがより深く理解するに至った。
受診を引き受けることはそこにその後の責任が生じ、
検査方法も治療も独自の状態で行っている一部の医療機関とは異を呈する姿勢、
治療あきりとの解釈で受診希望する問い合わせが非常に多いので、
某医学学会の見地からも適切な判断がなされ皆の一致という意見の下でなければ、
それまでの不具合がなにを原因とするかの判断が出来かねるというのが
多くの受入をしない大学病院の見解であった。
脳外科の医師とどこも直接話ができたこともあり私は納得し、
ひとつの医療機関、つまり、某教授を指名し、
その方の判断を仰ぐしかやはり方法がないことを引き合わせの縁であると
ここでも縁を感じずにはいられなかったのだ。
やはり大学病院、対応の丁寧さはどこも共通する教育レベルや職業意識の高さを
感じさせるものだった。
それに比べ通院先は・・・・・・
必ず・・・・・か。
脅迫に聞こえてしまうときがあるのだよ、体調が悪いときには特に。
最後に某医学学会での見解をお聞きする手はずを整え、
弁護士と最初の面談を行うことにする。
体力が持つのか、気力は?
不安だらけだが、今の私をみてもらい、正直に状況を伝えようと思っていた矢先、
仕方ないですね、あなたの都合に合わせてあげます、と言われ切れた。
お前は何様だ?
加害者側の代理人だろう?
他人の人生を変えておきながらその自覚など一切なく、あわせてあげましょう、とは
傲慢ちきであり、まともな人間ではなく、プライドの塊、
もっといえば、偏った人間であることはすぐさま理解できた。
電話だけでも、手紙だけでも、嫌な気を感じてしまう。
できるだけこいつと同じ空間では息をしたくない、と思った。
なぜなら、体調が悪化するのが目に見えているのであって、
人間にまだなれていない魂しかもっていないことを嗅ぎ取ってしまったためだ。
できれば・・・・・・・と思う。
静かに暮らしたい。
たぶん、田舎暮らしの発端は、病気になろうとなるまいと、皆が疲れている証拠なのだ。
お母さんになることも、疾患を抱えることも大変なことだ。
けれど、再度お母さんになったことで、何か変わった気がする。
やっぱり赤ちゃんはかわいい。
だって、お母さんに甘えて、お母さんの鼻を噛んだり舐めたりして、
いろいろなしぐさで会話して、お母さんの子供に本当になってゆくのだから。
相性とは、縁とは、きっと、そんなものだ。
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