風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

君がぼくを見つけた

2009年11月07日 04時05分24秒 | エッセイ、随筆、小説



映画を観に行きたい、と伝えた。
父親に甘えるまるで子供のように。
彼はすぐさま私が観たいという映画を調べ、劇場のいくつかを探し、5つの時間帯を提示し、
どこで、何時に観る?とさりげなくわがままに付き合おうとしている。

最近、毎日のように声を聴いているせいか、まゆみの擦れた声が心地よくなってきて困る、と言った。
私は笑った。
大声ではなく、うふふっと、小さく息だけを漏らすように笑った。
決して、私も・・・とは言わなかった。
それでも、携帯で彼の名前が表示されると、もしもしと優しい響きの声を聴くと
どんな嫌なことでも一瞬にして忘れられる自分がいますよ、とは簡単に白状した。

一緒に観ることになった映画は上記タイトルのものだ。
子供の頃に母親を交通事故で亡くし、その後、彼が成長した後、
時空を旅する能力が突然に備わって、母親の交通事故を食い止めようと試みるものの、
結局はできないのだが・・・・・・
と、確か、こんなニュアンスの内容だったと思う。
失くしたものを取り戻せないかわりに、新たな出会いによって人は癒される。
どこか私が歩んできた出来事に似ていて、たぶん、涙が止まらないだろうと心配なのだ。

まさか彼と陸で会うとは思いもしなかった。
海上か、船上のみで、スポーツ系の服装で会うものばかりだと思っていたら、
そんな予想は大昔のもので、再会した今は違った展開を迎えている。

手をつなごう。
恋人みたいに、初めてのデートで緊張しなが手を握るように。
もしどうしたの?とでも聞かれたら、
いつこうしてまたデートが出来るかわからない体調だからと言えば、
彼の、次に出てくる言葉は唇の奥に仕舞われるはずだ。

あなたが私をみつけた日。
そして、あなたが私を抱きしめた日。





運命の人

2009年11月06日 20時39分44秒 | エッセイ、随筆、小説





江戸時代には曙染めといわれた模様染めに似た色彩、
十月から十一月が好期となる黄道光の西側の空、
富士の山のシルエット、
黄金色の、あたかものみ込まれてもいいとさえ思わせる望月、
あの景色を目前にしたとき、心が、たとえるなら魂が震えている自分がいたのでしょう。

運命の人。
正式には、運命の人たち。

交通事故に遭ったことによって、運命共同体と呼ぶべき人たちとの恵まれた出会いがあった。
そして同時に、人間という生き物の本質というか、巣窟とでも言うべきなのだろうか、
普段であれば絶対にお付き合いしない人種との関与によって、人間に辿り着いたような気がする。

辿り着いた人間というのは、まさに運命共同体の、温かな人たちを指している。
私の心が折れたときに、そっと寄り添ってくれる人たち。
声を聴かないと落ち着かない・・・・などという下手な嘘をついて、毎日欠かさず連絡をくれる人。
なにげなく私の体調の良し悪しを尋ね、折れた心を修復する。
そして、本来の私に戻るまで辛抱強く待っていてくれる人たち。

幾度となく死に憧れを持つほどの出来事や激痛に襲われたものの、
私の命がこうして今あるのは、運命の人たちの支えや励ましがあるからだ。
美しい光景を共に見、泣きじゃくる私に胸を貸し、平静を取り戻すまで黙って時間を費やす。
だからなにがあっても生き抜こうと思う。
いや、思えるのだと思う。




深謝。




5年の歳月、交通事故事件被害者として

2009年11月04日 06時18分45秒 | エッセイ、随筆、小説





今日は私が交通事故に遭った日だ。
私の人生が変更を余儀なくされ、身体には痛みが棲みつき、
世の中に存在する人間や、その人間に宿っている心や魂とでもいう得体の知れないものや
その魂という得体の知れないものが人間の実体や本性とでも表現するべきなのだろうか、
あらゆる景色の色彩が深みを帯び、奥行きを増す時間の出発点はどこかと聞かれたなら、
私は迷わずにこう答える。

2004年11月4日、と。

いくら善意ある人間を装ってみたものの、いくら立派な職業を、学歴を得ていたとしても、
それはある種、ただの学力を評価する、
人生の通過点における記号のようなものとしか私には見えない。
だからといって人間性が磨かれるわけでもなければ、
人間としての質が高まるわけでもなければ、
俯瞰する自分というものを設定する能力が備わるわけでもなければ、
仮に感性というのであれば、それが豊かになるわけでもなく、
知が得られた証明になど到底ならない。
とはいえ、それを、学歴を否定するつもりも毛頭ない。

勉強ができるということと人間的な頭のよさや切れ味はまったく相違する、対峙した関係性であり、
同意語ではないのだと、さまざまな人間をみて、出来事を請け負ってみて、
「人間とはなにか」を見る機会の出発点、
人生のこの時期において体が、昨日までは丈夫に動いていた私の体が急停止を命じられた。
そのことによって、心だけが、頭だけの活動を許され、
木製の天井、その年輪という莫大な時間経過を意味する模様の濃淡を眺めることによって、
私はまず「私」という人間と向き合わざるを得ず、
次に、関係者というあらゆる階級の、ここでいう階級とは社会的立場と同時に魂の立ち位置を指す、
人間と称される生物たちを、好むと好まざろうと、相手を直視する試練が日常に加わった。
そして、5年という歳月が流れた。

追記するならば、まだ私はなんの交通事故処理もはじまってはおらず、
想像するならば加害者は今日事故を起こしたことなど遠い日の出来事のように感じているだろうし、
だから謝罪になどに時間を費やさずにのうのうと、無神経に、
何事もなかったものとして生きているわけで、
もしかしたらすっかりと記憶からは消去されているかもしれないと思う。
でも私は・・・・・といえば、あの日を境にして
激痛に耐えながら何件もの病院を、何人もの医師を検索し、医療費の工面をし、娘の養育や学費、
私たちが腹が空けばなにか食べられる、最低限の生活を維持するための費用の捻出、
そういった事故という出来事に付随するおまけのような状況に対処をした。
逃げ場などどこにもなかったからだ。

死を選択してもおそらく、それが逃げ場になどならないことをいつの間にか体得し、
私の身に降りかかった障害の不具などとっくに通り越して、
行き着いた先は、人間というシンプルな対象物だけが浮き出してきた。

人間は優しい。
私は何事にも屈せずに、豊かな人生を歩んでいる方々との出会いに恵まれた。
と同時に、人間の浅ましさや醜さ、人間という残酷な生き物の正体をこれでもかと見せ付けられ、
そこから一瞬たりとも目を離してはいけないと、
なにかわからないが、私の思考や視線の先に映るものの景色を、状況を、場面を、機微に至るまで
見逃してはならないと諭されているように思えるときがよくある。
そして、私はそのなにかわからないが、目には見えない大きな力の作用の中に飛び込み、
その計画の中で息をし、ひっそりと、ただひっそりと、人間を見るためだけに時間を費やした。
覗いた。
フィクションなのか、それとも実体であるかを観察し、洞察、推測した。

仕切りきるように、窓から秋にしてはやや冷たく感じる風が頬をなぞっていく。
朝だ。
東側の窓から神々しいまでの光が室内に注がれると、
ああ、生きているのもそんなに悪くはないものだと感じる。

どんな人間を、その人間の行う卑怯で、卑劣で、残酷な出来事を
実際に自分が当事者として辛苦極まりない出来事に遭遇または見聞きしたとしてもだ。
生首を掴まれ、その手にじわじわと力が込められていて、私の活路を、命を奪おうとしても、
私は笑っていられる。
呼称はたとえ同じだとしても、私はあのような人間にはならないという出所は不明だが確固たる自信と、
私を支える多くの同志の存在が、私を私として、生かしてくれているからだ。







私が出すわ

2009年11月01日 20時58分52秒 | エッセイ、随筆、小説





古びた階段を上る前に一息。
昔のつくりだからか、一段一段が緩やかな動線を描き、地上へ向かってゆく。
えっと、このくらい足をあげればよいのかしら?とイメージを浮かべる。
よいしょっと。
なぜか、いつも、不安定な方の、左側の足からすべてをはじめていることにふと気付く。

階段の上り下り、
1日の、最初の一歩も、
ベッドから起き上がる動作、
その他、もろもろ。

湯島まで来なければ気付かなかったことだった。
自分の動作なのに、まるで他人事のよう。
へぇ~左側って、意思どおりに動いてないじゃん。
というよりも、自分が思っているよりも、左足が肉の塊でしかない事実に今更ながらに驚愕。
微弱な電気が走っている感覚。
ただぶら下がっている棒みたい。
だからといってその代役を右足がしているわけでもない。
不思議。
気付いたからといって別段、ショックを受けるわけでもなく。

さて、なぜ湯島なのか・・・の説明としては、単純明解で、この近辺に友人宅があるからだ。
若いご夫婦で経営しているメゾネットタイプのデザインとコーヒーに凝ったカフェで一杯、
その後、根津へ移動し、本日2軒目となるカフェへ。
そして、そこで事件は起こった。
突然にして。
何の前触れもなく、心の準備をする余裕も与えてはくれず。

店内にはアーティストは不明なものの、
美しく仕上げられたサマータイム”が心地よいメロディで、空間をさらさらと流れていく。
日本は秋、
先日、片見月では縁起が悪いという江戸からの風習を、江戸っ子を集めて月見をした。
ゆらゆうらと揺り篭のように海面に浮かぶヨットの上で。
デッキに寝そべって夜空を眺めていると、意味もなく涙が溢れ出した。
そして、わんわんと子供のように嗚咽を漏らして泣いていた。
まるで宙(そら)と情を交わしたような、不思議な感覚が心身を貫いていった。
幸福感にいつまでも漂っている感覚。
希求する領域に強く強く抱きしめられているような安心感、余計な力を抜いていいよという合図。

緋色のカップに注がれたハイビスカスティーを啜っていると、
行ってくればいいよ、と話を切り出す友人。
えっ?と私。
日本語が、状況がうまく把握できない。
とりあえず出た言葉は、なぜ?だった。
首を斜め45度に傾けたまま、友人を見つめるのが精一杯な状況。
なにが起こったのだろう・・・・・・
両手が、身体が、心が震えて、水すら喉をとおらない。

なぜ?
なに?

満額まですこし足りないのだけど・・・・・と何度も頭を下げる友人を呆然と眺める私。
今度はなぜ謝られているのかがわからない。
友人は満面の笑みを浮かべながら、資金や時間が、将来がどうの・・・を問題にするのではなく、
留学できる心境でいるうちに行っておいで。
ひとつ新しい経験を重ねるスタンスでいいんじゃないの?
それがいつか役に立てば儲けもんくらいに思えば。

障害を負わせていただいたことで、私は痛みや不具合と引き換えに、大切な時間を得た。
そして、学びたいと思ういくつかの方向性の先には、常に頭の片隅に、ヒダに引っ掛かったように、
社会復帰”や生涯現役”や人のためになる仕事”との自分の位置づけや立ち位置が存在する。

篩(ふる)いに残存する友人・知人たちからの支えの威力も、恩恵も、ご厚意にも、
幾度となく折れた心を拾い上げられたことかわからない。
にもかかわらず、留学費用の工面を、ただ長い付き合いだから当然だとさらりと言う友人が
私には神様にしかみえない。

きっと厚みのある封を開けることはできないと思う。
それは、有難さと、気持ちの重みや深み、もしかしたら多少の後ろめたさがあるためかもしれない。




※タイトルの「私が出す」はある映画から引用したものです。
  ご了承を。