rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

アンチエイジングと男性更年期

2011-07-24 23:16:21 | 医療

久しぶりの更新になりますが、学会や講演、日々の診療が多忙で本はそれなりに読んでいたのですがブログの更新が滞ってしまいました。

 

現在最も注目されるのは何と言っても8月2日にアメリカ国債がデフォルトするか否かの問題です。もともとQE2に対する特例措置で何とかデフォルトまでの期間をのばしていただけで、根本的な解決策は出されていないのですから、今回その場凌ぎとしてQE3QE4と国債の上限を限りなく上げていったとしても米ドルは経済の実体を伴わない印刷物だと宣言してしまうようなものでしょう。

 

さて先日大学の同窓会で「男性更年期と前立腺疾患」という演題で講演をする機会を得ました。男性更年期は近ごろ話題ではありますが、特に詳しいという訳ではなく、いろいろ勉強しながら話す内容をまとめたというのが実際でした。そこで備忘録の意味もこめて少しまとめておきたいと思います。

 

アンチエイジングと更年期

 

老化防止というのは秦の始皇帝の時代から「不老不死」の妙薬が求められていたように人類永遠の探究テーマであると思われます。現在のアンチエイジングの考え方は「永遠の命」というよりは老化によって起る身体精神能力の低下を防ぎ、或いは回復させて死ぬ直前まで若さと健康を保って「ぴんぴんころり」と死にたいという願望に基づいていると言えます。

 

1900年頃の女性の平均寿命は西欧においても50そこそこであったという記録があり、閉経後も生きている女性は全体の2−3割しかいなかったそうです。日本でも明治期に初めて文献上更年期ということばが登場するのですが、江戸時代には更年期の概念はなかった、そこまで長生きする女性はあまりいなかったということのようです。そもそも自然界において閉経後まで生きている動物はヒトと象くらいなもので神様は更年期の存在を想定していなかったと言えるかもしれません。従って更年期の種々の症状に打ち勝つ医療というのは一種のアンチエイジングに含まれるものと思われます。

 

老いを研究する老年学の潮流として、一つは老いによる人格や能力の成熟を研究する分野があり、これは「老い」を肯定的にとらえているものと言えます。そしてもう一つが「肉体的老い」をいかに否定するかを探究するアンチエイジングであり、これは欧米においても商業主義と結びついて発達してきた歴史があります。この二つは対立する概念であるにも係わらず、日本においては老年学の目標があいまいなままブーム的に広がってきていると言えます。

 

男性と女性の更年期

 

女性は閉経後女性ホルモンが急降下して10%以下に低下するため、ホルモン低下による自律神経失調症状やいらいらなどの神経症状が自覚とともに顕著に現れます。一方で男性はテストステロンの低下が40台位から現れるものの徐々にしか進行せず、しかも低下の度合いやもともとの男性ホルモン値も個人差がかなりあることから、本当に男性においてもホルモン低下を原因とした更年期障害というものが存在するのか疑問をもたれていました。

 

男性ホルモンの低下をきっかけに、高血圧、高脂血症、糖尿病などのメタボリック症候群を呈する疾患が惹起されたり、勃起障害や性欲の低下などの性機能障害、疲れやすい、眠れない、筋力低下などの精神身体症状が出現するというのが男性更年期(Late Onset Hypogonadism)と呼ばれる一連の症候群であり、これに男性ホルモン低下が増殖のトリガーといわれる前立腺肥大症や前立腺癌などの泌尿器科疾患も加わって(Aging Male Urological Syndrome)などとも総称されたりしています。

 

男性更年期の治療に男性ホルモンは有効か

 

男性ホルモンの低下が原因であるならば、治療として男性ホルモンを外から与えて補充してやれば全て解決するではないか、と普通考えますが問題はそれほど単純ではありません。日本では遊離テストステロン値が11.8pg/ml以下をボーダーライン例、8.5pg/ml以下を下限としてそれ以下ならばテストステロン補充療法の適応としています。確かに補充療法によって自律神経失調や精神的に活力が低下していた人が改善したり、性機能障害が改善したりする例があるようです(ようですというのは私には治療経験がないからです)。しかしある意味「不定愁訴の塊」とも言える男性更年期の症状の全てがホルモンだけで説明がつくほど人間は単純ではないことは明らかです。ホルモン補充もプラセボ以上の効果が一部の人にはあるとしても、一般の医療で経験するような万人への効果があるか、となると極めて疑問です。ある種アンチエイジングにおける商業主義の臭いもしないではありません。

 

男性更年期医療の今後

 

男性ホルモンを外から補充すると、ただでさえ低下していた患者本人の男性ホルモン産生能力はほとんどゼロになります。ホルモン値を一定に保とうとするネガティブフィードバックがかかるから当然の帰結です。結果として一度補充療法を始めると一生続けなければなりません。ここが商業主義的である所以でもあります。医療商業主義を否定しない欧米では一生ホルモン補充を続ける事が男性更年期治療の基本になっていますが、日本ではこのありかたに疑問を持つ専門家が大勢います。「症状がある程度改善したら1年位で少しずつ減らして漢方薬などに交代させよう。」と言う考えの専門家が主流です。私もそのほうが良いと思いますし、そもそもホルモン補充などせずに男性ホルモンが低下したことを素直に認めてそれなりの生き方を各人が考えることが本当の男性更年期治療だと私は考えます。「老いを認める」ことから入らずして健全な老後などありえないというのが私のポリシーです。もし補充をするとしても「老いを薬で誤魔化すだけで何の解決にもならないことを承知で注射を受けて下さい。」と私なら説明するでしょう。若年者の下垂体性性腺機能低下などは本当の病気だからホルモン補充(或いは下垂体ホルモンの補充)は当然と考えますが、老いによる性腺機能低下に対して、症状改善のためホルモン注射に依存するようになったらそれは覚醒剤に依存するのと同じ構造だと私は思います。

 

講演の後、聴衆だった後輩から「一時的に脚光を浴びても10年くらいするともう存在しない病気が時々ありますが、これもその可能性はないですか。」という鋭い質問がありました。実に良い質問で私も誰かに質問したいくらいです。私の考えでは、男性更年期が商業主義と結びついてしまったら大してホルモン補充自体に効果がないからそのうち廃れてしまうのではないかと予想しています。一方で学問的に治療の適応や他の因子との関連をきちんと研究してゆくのであれば老年学の一分野としてしっかりと確立されてゆくのではないかと私は思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする