小保方晴子さんは、STAP細胞(stimulus-triggered acquisition of pluripotency弱酸で刺激して万能化を獲得)の発見で一躍注目の的になって、次は論文の不完全性や非再現性を指摘されて、終に博士論文も取り消しのような騒ぎになってしまいました。臨床家ではありますが、一応科学者の端くれを自任する私として、彼女を非常に気の毒に思います。
小保方さんのnature論文
私の家族とかからもこの騒動の感想を聞かれるのですが、まず初日に突然ニュースのトップで「世紀の発見、割烹着の理系女子」として紹介された時から「何じゃこれは?」という違和感を持ったのが正直な所でした。「この程度の発見」と言っては失礼ながら、内容を聞く限り大した内容はない。「万能細胞になるかもね。」というだけでまだ何とも言えないのではというのが感想でした。「割烹着の理系女子」がニュースなのだろうというのが私の感想でした。
いやSTAP細胞を作り出した事は私などにはできない素晴らしい研究だとは思いましたが、トップニュースにはならないでしょ、ということ。日本では動物実験レベルですが既に細胞から腎臓を作り出して尿を数ミリリットル産生させることも成功している。こちらの方が医学的には10倍くらいニュースバリューがあるけど、ニュースウオッチ9などで紹介されたこともないし。
前にも書きましたが、自然科学というのは演繹的な法則の上に成り立っている約束事であって絶対的な真実であるとは限りません。今回問題になっている図表の切り貼りですが、勿論切り貼りは「インチキだから不可」ですが、論文に使う図は何回か実験して一番うまく行った結果(demonstrableという)を使うのは常識中の常識で私を含めて全ての研究者がやっていることです。実験もやる度に少しずつ違う結果が出るので複数回行った結果の平均を取って統計的に有意差があることを示して「真実です」と発表するのが「科学」というものです。外国人の書いた英語の言い回しを日本人がまねるのはこれも当然で、native speakerでなければ数年留学していた程度でスラスラ英語の論文が書けるはずがありません。結果も盗用、考察も盗用では話になりませんが、そこは共著者や指導者に当たる人がきちんとpeer reviewしていれば問題ないはずで、そこに問題があるならばまた話が違ってきます。
大成してノーベル賞を取った科学者達も元になった研究は30前後の若い頃に行ったものが多いとされます。実際、思考が柔軟で発想が新鮮、体力も十分な若い頃の方が画期的な仕事ができるものです。かく言う私も「ノーベル賞をホームラン」とするなら「キャッチャーフライ」か、せいぜい「ピッチャーゴロ」ですが、30歳頃には誰も気づいてない斬新な結果を医学研究で出してました。惜しいのはそれをきちんと追求して論文に纏め上げる能力がなかった事で、数年後には他大学や外国から「やはりそうであったか」という私が一部一致する結果を得ていた論文が出てしまいました。これもやはり私が若かったからできた発想(上の先生達はそんなことねーよと言ってた)だったと思います。だから小保方さんも今回の論文がどうであっても「STAP細胞を確立するかなりの手応え」を今までの実験で掴んでいる事は確かなのだと思います。
論文内容の不備や方法(method)の不備が後から解った場合は後からきちんと発表しなおせば良いのですし、そのような事は通常行われています。誤りはきちんと公表すれば科学の世界では許されます。科学の発展はそのようにして行われてきたのです。勿論始めから全て捏造やインチキであったらそれはもはや科学ではありませんから問題外ですが、彼女の生活や共著者達を見る限り全てインチキというものではないと思います。
今回の叩かれようから、今後彼女が何をやっても科学者として信用されなくなったりするのはあまりに惜しいと思います。だから「ぐあんばれ小保方さん」という題になりました。以前iPS細胞の臨床応用をやったという全くのインチキドクターがいましたが、あれは私から見ても明らかにガセとわかる内容でした。「臨床をなめるな、」の一言で終わりです。
今回の騒動(以前からですが)では特にメディアの科学に対する理解力の低さが目立ちます。理系の学部を出た記者がサイエンスをきちんと理解していればそうそう間違えることはないと思うのですが。
話が少し逸れますが、米国は2023年から世界医学教育連盟(WFME)の認証を受けた医科大学の卒業生以外は医師として認めないという指針を2010年に出しました。これに従って、日本もWFMEの基準を満たした認証制度を創設して、全国の医科大学がこの基準を満たすことを迫られるようになりました。結果として東大の理科三類から某私立医科大学まで同じ基準の医学教育が行われるようになります。言ってみれば全国どこでも自動車学校で同じ事をしているのと同様で、日本の医学部卒業生は皆同じ能力を持っていることになります。運転の上手い下手に個人差があるように、医師としての能力にも個人差はあると思いますが、本当に全国の医学部で同じ教育を行う事が必要な事なのか私には疑問に感じます。底辺の底上げにはよいでしょうが、能力の高い人達をスポイルする結果にならないか心配です。
高校までは答えの出る問題を解く方法を教え、大学は答えの出ない問題を解く方法を身につけるのが本来の責務です。だから卒業論文でそれが身に付いているかの初歩が問われるのです。医・歯学部や薬学部は既に専門学校化していて国家試験に受かる事が責務になってしまっていますが、本来教えるべきことは答えの出ない問題のはずです。米国ではlaw school, medical schoolなどは大学を出た上で専門学校として技術を身につけるために入学するので矛盾はしません。今回の小保方さんの騒ぎ、とても大学を国民の半数が卒業している(その半分は理系だし)社会での出来事には見えません。
小保方さんにはこの騒動にめげずに地道に研究を続けて、自分でつかみかけているSTAP細胞確立の手応えを是非「夢の万能細胞」にまで実現させて欲しいと思います。