ドローン・オブ・ウオー 原題 Good Kill 2014年米国 主演 イーサン・ホーク、 監督 アンドリュー・ニコル
旅客機の中で原語で見ました。これ日本で公開される題名はドローン・オブ・ウオーですが、「戦争のドローン」では意味不明です。ドローン・ウオーならばまだ無人機を使った戦争ということになりそうですが。原題の意味は狙った獲物に命中した時の”Good Kill !”というかけ声と「善良なる殺人(evilの対比として)」の両方の意味合いが込められていて、この無人機を米国内で操りながらアフガニスタンのテロリストと思われるターゲットを殺害する任務の非人間性を良く現していると言えます。
無人機のカメラから見たターゲットは神の目線で生身の人間の生殺与奪の権限を握るに等しい感覚です。ターゲットにレーザーを当て、ミサイルの引き金を引くだけで数秒後には確実にターゲットは何も知らされないうちに爆死します。爆発があった後に犠牲者を助けに来た人々まで追い打ちをかけるようにミサイルが発射され、さらなる殺戮が繰り返されます。しかも殺害者は冷房の効いた部屋で家から通いながら何の痛痒も感じずに任務を実行できるのです。
主人公は軍人でしかも戦闘機パイロットとして任務を遂行したいと考えているのに命令に従って殺人のスイッチを押すのみのドローン・パイロットに嫌気がさします。しかも途中からCIA(ラングレー)の指示に従って本当にテロリストと言えるか疑わしい、軍人として相手を殺害するに値するが疑問に思われる相手までドローンで殺害するよう命じられ、子供や女性までやむを得ない巻き添え(collateral damage)として殺害してゆくことに精神的に病んでしまうという内容です。
客観的に見てこのドローンによる「容疑者」殺害は明らかに戦争犯罪であり、逆にイスラム諸国が米国内で同じ事を行えば欧米諸国はあらゆる手段で戦争裁判にかけて関係者を処罰、処刑するでしょう。これを米国が行っているから実行者達は倫理的な呵責に苛まれるのみで制度として止まる事が無いのでしょう。戦争犯罪であるのに誰も止められないのは、指示を出すCIA職員、命令する軍の上官、命令を実行する兵士、全ての人が「法的には適法」であるところにあります。この法的には適法というところが、戦争犯罪が起こるカラクリとも言えます。彼らが雑談中話し合っているようにこの「ドローンによる殺害をいくら行っても戦争は終わらない」事は既に結論として理解されているところにテロとの戦争の無情さがあります。
私が以前から指摘しているように、テロとの戦いは警察が行うべきことであって、軍隊は国家対国家の戦いにおいて、一定の達成目標を定めた上で使われるように制度設計されているのであり、兵士達もそのように訓練されているのです。映画全体を流れる暗さ、良心の呵責と精神的な苦痛で笑顔を見せない主人公の無機質さは、米国が行っているテロとの戦争の実態を良く表現しているように感じました。