「反知性主義」という言葉について良く理解している人は「いまさら感」があるかも知れないのですが、最近宗教学者の島田裕巳氏の近刊「反知性主義と新宗教」イースト新書(081)2017年刊を読んでいて、巷で良く耳にする「反知性主義」という言葉が日本で使われている意味と欧米で本来使われて来た意味がかなり異なるという事を知り、しかもBrexitやTranpismという最近の流れにおいて、日本においては欧米でも日本で考えられている意味で「反知性主義」という言葉が使われているかの如く誤解されていると思われるので、私は改めて整理しておく必要を感じました。
日本における反知性主義
内田樹氏の「日本の反知性主義」(原典であるRホフスタッターの著作「アメリカの反知性主義」を意識した題名)では、アメリカの本来の意味に触れながらも、日本における反知性主義は「感性や感情が理性に勝って力や説得力を持って来ている現在の日本の風潮」を表現する言葉として定義付けられているようです。またその他のメディアや評論家が使う「反知性主義」の内容も概ねその意味で使われていて「ほぼネガティブな意味合い」つまり「反知性主義≒思慮が足りない≒非インテリ的≒衆愚(ポピュリズム)」といった一連の概念を現す内容として語られていると思われます。
米国における反知性主義
反知性(Anti-intellectualism)とは、知性(intellect)よりも知能(intelligence)を重視する考え方と説明されます。Intellectを知性と訳してしまうのでこの違いが日本語においては良く解らないのですが、「既成の権威主義的な学問体系」みたいなものをIntellectと称しているのであって、自ら状況に応じて考える能力が高い事をintelligenceと称して、総じてポジティブな意味合いで使われることも多いのが本来の反知性主義と解説されています。
アメリカの人気テレビ番組「メンタリスト」は面白いので私も良く見るのですが、シーズン2第二話「The Scarlet Letter」の冒頭で、橋の下で発見された若い女性の遺体が自殺か他殺かを法医学者が「最新の法医学をもって分析すれば数日の内に結論を導き出せるだろう。」と主人公に対して自慢げに話したのに対して、学問はないけど海千山千で人の心理を読んで生きて来た主人公(メンタリスト)のジェーンが「僕には法医学は分からないけど、女性の靴が片方しかなくて、橋の上にも靴がなかったからこれは他で殺されて橋から落とされた他殺だよ。あなたは真面目な学者だけどバカだ。」と学者を瞬殺するシーンがありました。
これこそが米国における「反知性主義」なんですね。「知性よりも知能が勝ることを示して権威主義に頼る人達に喝を加えることを良しとする思想」です。
トランプ大統領に対して民衆が賞賛するのも、彼が言いたい事を言っているからというよりは、既成の体系となった政治的正義や経済・外交の常道といったものを一度否定して、その場において適切(と思われる)要求や主張を展開して、それが既成のメディアに否定的に取り上げられることで却って宣伝効果を高めているというかなり知能犯としての行いが「反知性主義的」と認められていると思われます。
日本で言えば、福島の原発事故後にいくら原子力の専門家が再稼働について「危険はない」と学問体系に照らして説明しても一般民衆の方がサイエンスにも限界がある(これは真実)ということを生理的に見抜いて反対している現状に近いのではないかと思います。
反知性主義は日本においては「インテリ」と自負する人達が自分達の論理的な言質に効力がなくなってきたことを嘆く意味で使われているのですが、本来は既成の権威的な学問への懐疑、現状に柔軟に対応する知能の高さを賞賛して使う場合もあるのだということを理解していないと外国人と会話をする際にとんでもない誤解を招く事になりそうです。