時事評論家の田中宇(さかい)氏は、2020年の選挙詐欺を用いた米国の大統領選挙や米国左派がリベラルイデオロギーを使って右派言論を封じ込めている状態、それにコロナ騒動も加えて「米国版文化大革命」と表現しています。これは非常に上手い表現だと思います。私は米国以外の世界で起こっているコロナ騒動による社会変革は「コロナ禍による文化大革命(World cultural revolution in the name of Covid-19 pandemic)」と表現して良いだろうと思います。
コロナ禍という文化大革命
文化大革命とはご存知の様に、中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた、中国共産党中央委員会主席毛沢東主導による文化改革運動を装った毛沢東の権力闘争で、多くの無辜の国民、特にインテリ層が犠牲になり、推定死者は数十万人から二千万人と言われています。当時の中国は現在(国家資本主義)と異なり、原理主義的な共産主義を是としていて、利に敏いインテリや金持ちは「走資派」「反革命」というレッテルを貼って自由に処刑(或いは社会から放逐)して良いとされたのです。結果として中国の近代化は20年遅れ、有能な人材が死刑或いは亡命し、古来の文化・文化財の多くが破壊・消滅しました。
20世紀末にソ連が崩壊するまでは、国際共産主義インターナショナル(旧コミンテルン)の流れで、現実的には一国社会主義政策を取ってはいましたが、いずれ世界全体は共産主義経済に移行して、統一されるといった思想を信奉している人たちが沢山いました。しかし社会主義経済が崩壊して世界が資本主義経済体制に統一されると、21世紀になり、それまで左派であった人たちがネオコン(neo-conservative)の形で世界統一的なグローバリズム資本主義の覇権体制に入ってきました。しかしグローバリズム資本主義の発展が限界を迎え、Brexitやトランピズムの様な反グローバリズムの潮流が台頭してきたので、その司令塔と言える「資本主義インターナショナル=ダボス会議」はかつて中共が古い文化を破壊する事に成功した文革の手法を用いて各地のナショナリズム的文化の破壊を目論むことになったのです。これが「コロナ禍を利用したグレートリセット」ということだと思います。
科学(サイエンス)という権威を利用した強制的社会変容
僅か1年ほどの間にアフターコロナの生活などという言葉が何の抵抗もなく語られるようになりました。コロナ風邪による「死の恐怖」を煽って精神的、社会的生活の在り方をかくも簡単に変革できるとは画策した人たちも想像しなかったかも知れません。今ではほぼ武漢のウイルス研究施設で人工的に作られた事が解っている「新型コロナウイルス」の偶像を世界の人たちに植え付ける上でWHOや世界経済フォーラムの意向に沿う科学者達の見解が「科学的真実」として大いに利用されました。宗教ではあるまいし、「権威」とされる人のご託宣がそのまま「科学的真実」ではないことは、普段理系の思考法に慣れて、サイエンスを理解している人たちには当たり前の事なのですが、「権威のことば」=「真実として信じて良い」程度の理解しかない人達には「サイエンスという権威」の威力は絶大だったと言えるでしょう。本来科学的真実とは、図に示す様に全ての疑義に対して丁寧に反証して、相手が科学的に納得して初めて真実に到達します。私も専門雑誌や大学院生の学位論文の査読を行いますが、方法や結果、考察の論理展開や結論づけについて細かく疑義を指摘し、著者は偉い先生であろうと(普通著者名は伏せられている)疑義の全てに真摯に答えなければ査読済みの科学論文としては認められないのです。
私を含む多くの医師・科学者達が新型コロナ感染症について、騒動の始めから以下の様な疑問の声を挙げてきました。
〇 新型コロナ感染症はエボラ型の封じ込めが本当に必要か。
〇 ロックダウンに感染予防の意義があるか、季節的な感染者数変化を反映しているだけではないのか。
〇 新しいワクチンは、副反応だけでなく、遺伝子や免疫機能への長期的影響はないのか。
〇 今回のワクチンでパンデミックが確実に収束するエビデンスはあるか(人類の歴史上ワクチンで収束した事は一度もないが)。
こうした疑義にビッグテックやメディアの取った対応は「議論の封じ込め」でした。これは科学ではなく「原理主義的宗教の教義に対する対応」であると理解できるでしょう。だから現在、コロナ禍という文化大革命が行われていると断定できるのです。
中共の文化大革命は大きな犠牲を払いましたが、結局その後否定されました。所詮、一部の人間の利得を目的にした目論見が未来永劫に渡り完遂されることなどないのです。コロナ狂騒曲に踊り続ける馬鹿馬鹿しさに世界中多くの人たちは既に気が付いています。阿波踊りは同じ阿呆ならば踊らなければ損ですが、コロナ踊りは醒めた目で「踊り狂っている人達を横目で観察する」程度で良いのではないでしょうか。