rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

国家資本主義は国民に富をもたらすか

2014-08-21 01:20:05 | 書評

書評 自由市場の終焉(国家資本主義とどう闘うか) イアン・ブレマー著 有賀裕子訳 日本経済新聞出版社 2011年刊

 

市場原理主義の究極の姿がグローバリズム経済とすれば、G7に象徴される先進国(米英仏独加伊日)はグローバリズムを推進していると言えますが、BRICS諸国を加えたG20になると国家資本主義と見なされる国家群が入ってきます。グローバリズム経済は「トリクルダウン理論によって富者がより金儲けをすれば、富まない者にも経済的恩恵が巡って行くから、制限なく金儲けをしても許されるのであり、国家による制約は不要で少ないほど良い」と規定されたのですが、結果は1%の金持ちと99%の貧者の2極分化の固定化を招きました。経済の三要素である資本、労働、原材料が一国内である程度均等に賄われているのが健全な経済の望ましい姿ですが、グローバリズムは国単位で資本(米国)、労働(中国)、原材料(中東やロシア)をそれぞれ価格の安い所から調達し、統括するグローバル企業(と輪転機を回すだけで資本を繰り出す米国)だけが裕福になるというしくみであるため、それぞれの国家は合法的な搾取によって貧しくなるという結果になり、それらの国家は対抗策を講じ始めました。それが国家資本主義と言われるものです。

 

一市民の視点から見て、「国家資本主義というのは市場原理主義の欠点を補い、国民に富をもたらすものなのか」が非常に興味のある所です。今回はコンサルティング会社のユーラシアグループの社長で安倍首相にもアドバイスをしたというイアン・ブレマー氏の著作である「自由市場の終焉」を国家資本主義が国民にプラスになるかという視点から読み解いてみたいと思います。副題に(国家資本主義とどう闘うか)とあるように、本書は自由市場を本来の資本主義の望ましい姿として、対抗的に出現した国家資本主義とはどのようなもので、いかに対応するべきかを論考したものではあります。しかし読み進めると分かるように著者も行き過ぎた市場原理主義の弊害は認識しており、それの対抗上出て来た国家資本主義の蓋然性も認めています。以下に章を追って自分なりの視点で問題の答えについてまとめてみようと思います。

 

第一章      新たな枠組みの興隆

巨大多国籍企業の売り上げと国家のGDPを上位100を取り混ぜると51個は多国籍企業が占めるそうである。つまりグローバル企業は中小の国家よりも大きな資本力があり、国家そのものを買う、或は経済的に葬る力を持っていると言えます。この多国籍企業の力に対抗するために多くの新興国は政府の力を存続させながら経済を発展させる方策として「政府の富、政府による投資、政府系企業の活用」を重視するようになりました。これが国家資本主義に繋がって行きます。国家資本主義が新興国において安定的に雇用を創出して中産階級の長期的繁栄をもたらすならば、自由市場に代わる経済体制になる可能性が秘められています。

 

第二章      資本主義小史

純粋資本主義が唱える「見えざる手」によるコントロールで全て上手く行ったことなど一度もなく、いままで数多くの失敗が積み上げられて来た。そこで限定的な政府の介入を含む「混合資本主義」が行われて来たが、もっと積極的に政府が経済に介入してこれをコントロールすることが国家資本主義といえる。

 

21世紀における国家資本主義とは「政府が経済に主導的な役割を果たし、主として政治上の便益を得るために市場を活用する仕組み」と定義される。所謂社会主義経済や国家社会主義とも異なる。また国家が管理する貨幣の量を競う重商主義とも異なる概念である。

 

第三章      国家資本主義の実情と由来、第四章 各国の国家資本主義の現状

国家資本主義と権威主義的政治体制は緊密に結びついている。国営企業(資源を扱う)、政府系ファンド(SWF)、政府関係者が営む民営の国家的旗艦企業が国家資本主義が主に扱う手段である。手始めはOPECによる石油企業の国有化であり、近年中国ロシアの資源産業がある。中東諸国やシンガポールなどは政府系ファンドの活用も大きな力を発揮している。

 

第五章 世界が直面する難題

    市場原理主義の元では近視眼的な利益や「株主価値」ばかりが注目される傾向があり、そのために長期的な繁栄への配慮に欠けたり、バブル経済の出現が避けられない結果となってそれが却って健全な経済発展を阻害する原因になる。だからといって社会主義的な指令経済に戻れば良いという事はなく、政府による適切な監視こそが重要なのである。

 

第六章 難題への対処

    国家資本主義は市場原理主義がもたらす難題への回答、つまり不公平と闘ためではなく、政治的な影響力と政府の収益を最大化することに原点があり、国民に熱狂的に受け入れられるまでの魅力はない。国家資本主義は社会主義のようなイデオロギーではなく、経済的なマネジメントの手法の一つに過ぎない。米国と欧州では同じ資本主義でも政府による介入の度合いが異なり、自由市場を制限しない点では一致しているが、欧州ではより広いセーフティーネットを広げ、社会の維持にコストをかけている。中国は年間1200万人の雇用を新たに創出する必要があり、そこに国家資本主義を用いているが、今まで比較的うまく行っているが、今後も継続可能かは分からない。自由市場と国家資本主義の間で争いが起こるかは未定であるが、民間企業の活用、自由市場・時湯貿易の擁護(WTOの重視)、投資の自由化、移民の受け入れ、盲目的な自国主義(外国産品の不買など)の抑制が大事だろう。

 

著者は基本的に国家資本主義はまだ発展段階にあるが、最終的には自由市場が勝つであろうことを予測しています。ここで2012年2月に日経ビジネス On Lineのコラムとして田村耕太郎氏が述べた国家資本主義の限界についての論考を引用します。

 

(以下引用)

国家資本主義に“羨望”を感じる欧米CEO

2012年2月2日(木)  田村 耕太郎

 

 今年のダボス会議のテーマの1つが「国家資本主義の将来」だった。新興国を中心に、国営企業のプレゼンスが増している。資源エネルギー、メディア、金融、インフラ開発など幅広い業種において、その資金力と戦略的意思決定の速さを武器に世界を席巻しつつある。(中略)

国家資本主義の限界

 しかし私は、新興国の国営企業はそろそろ曲がり角に来ていると思う。理由は3つある。

 第1に、規模は大きいものの、国際ブランドを構築できた国営企業はまだ存在しない。確かに、国営企業は、技術や人材を買って一気にコピーするのは得意だ。しかし、それから先、ブランドにつながるイノベーションはなかなか生み出せていない。資金力だけではイノベーションは起こらない。イノベーションには風土というか環境が大事だ。機動的で小さな組織でこそ、それは生まれる。

 組織が肥大化すればするほど、その硬直性が増す。そして硬直化した組織では、官僚などインサイダーの利権やしがらみが優先される傾向が強い。ロシアの国営企業では、官僚が権力を持ち、そのために起こる組織の硬直が課題になっている。比較的うまくいっているシンガポールでも、イノベーションを起こした国営企業はまだない。中国の国営企業をサービス業から製造業まで見渡しても、国際ブランドになっている企業は見当たらない。

 第2に、国営企業には、暴走や非効率なお金の運用、腐敗の可能性がある。株主や国民のチェックを受けない組織だからだ。

 大統領に返り咲くとみられるロシアのプーチン氏の個人資産は5兆円と言われる。実質的に世界一の大金持ちと言われる彼の資産は、国営企業を通じてつくられたものであろう。このこと自体、能力と志あるロシアの事業家や若手起業家からモチベーションを奪っている。また、国営企業は、有能な人材がオーナーシップを持っている時にだけ、迅速で効率的な戦略的意思決定が可能である。常にそういう人材に恵まれる保証はどこにもない。

 人材や技術をせっかく買ってきても、それらを継続的に生かすためには、国営によるオーナーシップをより民主的にしていかざるを得ないと思う。以前に、中国国家ファンドの内実をこのコラムで書いた(関連記事)。欧米で経験を積み、高度なスキルを持つ人材と、新興国の政府高官との間で、経営をめぐる軋轢が既に起き始めている。これは、中東やシンガポールでも同様だ。

 第3に、国営企業の待遇は破格だが、それだけでは優秀な人材を採れなくなってきている。国営企業が幅を利かせている国のほとんどは砂漠や熱帯など、気候に恵まれない地域だ。大気汚染のひどい環境もある。報道の自由もなく、たいていはエンターテイメントに乏しい。教養や創造性に溢れる人材が長期に滞在したい場所ではない。

 中国をはじめとする新興国では、国営企業に低利融資するために国民が受け取る利息が低くなっている。配当すらしない国営企業も多い。国営企業が業績を上げても、長期的にはもちろん公益になるだろうが、国民は直接の恩恵を感じない。国民が豊かさを実感できない、国営企業を通じた国家資本主義では内需を増進することはできない。

 国営企業中心の国家資本主義に過大な幻想や恐怖感を抱く必要は全くないと思う。しかし、先進国の民間企業における民主的すぎる経営も行きすぎではないか? 短期的な利益を追い求める株主に煩わされることなく、長期的視野を持ち、戦略的な事項を迅速に決定する仕組みが求められる。これについては引き続き研究して提言を続けたい。

(引用終わり)

田村氏もイアン・ブレマー氏と同様に国家資本主義にも限界があり、適切な管理に基づく自由市場こそが皆の利益につながるだろうと意見を述べています。

「国家資本主義は国民に富をもたらすか」の答えは現状ではその利益は限られたものになるだろう、という結論になるでしょう。しかし行き過ぎた市場原理主義が多くの市民にとってマイナスでしかないことが明らかである以上、欧州的なセーフティーネットの充実や北欧型の社会保障システムと自由市場との両立といったものを日本も確実に目指して行かねばならないと思います。私はアメリカ型の自由市場の導入は日本国民には不利益しかもたらさないと強く断言します。

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