てんきあめの雨樋。

2005-08-10 23:45:59 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
小学生のころは何人もの同級生の家に歩いて行った。みんな、家族が仲よかったり、ツマンナイことで笑いあっているのが、とってもミョーだった。親戚づきあいもミョーに深いようだった。

母親の姉の嫁ぎ先は、町の唯一の商店街、数百メートルの南端、母親の実家、兄の住む家はその真ん中、あたしの家はほぼ北端だ。伯母の家も伯父の家も、座敷に上がった記憶が一度ぐらいしかない。ぐらいと言うのは、一度ってことはないような気がするだけで。

今年は伯父の新盆である。母親に聞けば、行かなくっていいんだよと言うに決まっている(家人はこうゆうことにイチイチ驚く)。

小学生のころだけは、通知票にリーダーシップとか指導力とか、センセイは何を見てこんなことを書くんだろうと当時でも自分で思う言葉が書かれた。母に拒否されながらも犬のように追いかけていたのと同時に、よそではいい子でいた。みんなみんな、どうしてあたしと遊んでくれたのだろう。そのぶんぐらいはふつうの子だったのだろうし、そうでなくてもあのころあの小学生たちは、こまかいことなど気にしなかった。

母は、他力本願のみえっぱりでありながら、無視されると愚痴を言う。つき合いというものの多くを、相手に迷惑だという感覚でとらえている。あたしはそれをしっかりと自分に根づかせている。それといい子は、じつは両立し得ない。


雨樋は図書館1館の中屋上?だ。音訳の同期生はほぼ同世代で、介護のために活動を狭めるひとも多くなってきた。
ウチの兄嫁からも、家人のほうの兄嫁からも、たまには親を招んでやれと言われて、結果的に無視しておきらくなのも今のうちである。
日光金谷ホテル1泊ご招待を母親に申し出たら、暑いからいやだと、あっさり断られた。
コメント
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