瑕疵ひとつ(たぶん)なく同時にまるで毒にも薬にも
ならないといったイメージの文章。朝日はよく村薫
のそんなニュース感想文を載せる。映像を見ながら、
その文体でつまりあの村フィクション文体を使わずに
非日常の惨禍などではなく例えば佐賀や辺野古や岩国や
津々浦々につながる大河を描いても、小説とはいえ
彼女の作品に属するノンフィクショナルへの信頼や意味
が、無駄になるということか、などと膝を打つように
言い聞かせるほど私はあの文体にどうにも落ちつけない。
都心∞∞区で過去のさる時期2期続けて
区長が現職で亡くなった(記憶未確認)。
ウチは国や都と直結してるからなあ
と、三角眉毛の過煙職員は言った。
忙殺。
いやも応もなく「国」に織り込まれる
東京に一地方の意識を抱く東京人が
如何にいかほど在るのか想像は及ばない。
国の中にありながらその対岸であるかのような
地方というものがあるというのは地方というのは
地方なのだと思い込んでいるなどとしか書けない
永遠の「田舎者」は、地方人でも東京人でもない。
今週のテレ朝系テレメンタリー(録画)は
朝日社説が岩国基地問題を取り上げた日の放送だった。
ぺっとろすしょうこうぐんであたまがずつうです。
ひにんしゅじゅつでおとまりぽん。