ロストジェネレーション。

2007-01-12 08:57:30 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
十代のそう短くない期間、自分が押しつけられた貰い子だったらまだよかったのにという不毛な思いを抱いていた。何がまだよかったかというその頃の感覚をうまくここでは形づくれない。

橋の下で拾った子供という言い方がある。拾ってまで育てるというのは優しさの証でもあるだろう。



朝日朝刊のロストジェネレーションという特集。きちんと年をとってきた人には抵抗のないことかもしれないが、私には世代でカテゴライズすることにやや抵抗がある。時代の経済、志向や空気は大きいとはいえ、人が生きることのエクスキューズにはならないという感覚だ。「戦争を知らない。大きな共通体験もない」、それはうちらも同じだ。生活できない演劇人は昔から当たり前で彼らの誇りにもなり得た。もちろん巡回する。場からは確実に遮られていてもバブルを横目の端っこで見ていた者と下方へ吸い込まれるような情報の中で育つ者と。

「すっきりと整理して話された言葉は多くのものを殺しているのではないか」というチェルフィッチュの芝居をいちど見てみようかと思う。

ヘミングウェイの時代と同じ名称を誰がつけ誰が認めたのか。
「僕らは損をしてきた世代」と言っていいと認められた。まだよい、と思っていい。


【追記 2007-01-19 02:10】
やっぱりジェネレーションでしょー、すいません、なんて、菊地ナルちゃんラジオを聞いてると、言っちゃえますね。ナルちゃんご本人はスーバージェネレーションですが。

コメント (2)
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