天声人語の執筆者がかわって人語と天声を取り違えたような物言いが変わることを期待している。
けさの朝日、1面右にある記事紹介で、リードが「そのまんま続く人気なぜ」、文末が「なぜ飽きられないのだろうか。」は、なぜ、なぜと言うのか。
世の人々の気分を代弁していると言うのだろうか、少なくとも私には予断甚だしいと思われる。もしくは新聞のオピニオンとして、なぜと問うべきこととして誘導しているのだろうか。
その下ひとつ措いて、リードが「『CO2は汚染物質』判決波紋」。この場合のキャッチとしては適当かと思われる。
つまり、なんか気に入らないというそれは、朝日に対してなのか、嗚呼アメリカなのか、まるっきりアバウトなイメージ。しかし、こういう「てにをは」というか「どういう」が切り離された文章がひとり歩きすることを、朝日は時々失念する。確信犯かと思うとどうも違うということが経過でわかることがある。
これの強さ具合は、朝日以外を読まないと相対的なものがわからない。だから私はわからないが、確信犯ならまだしも、何か勘違いな思い込みがあるというイメージが水漏れのようにちょろちょろと鳴り続ける。
どういうCO2かということは、紹介記事最初に「私たちがふつうに呼吸している二酸化炭素」とある。9面記事本体のほうには排出ガス規制が大きく掲げられ、京都議定書を強調する朝日の「ふつう」だろう。
ただ、朝日に飽きてきていながらとどまる人には、「ふつう」とその「ふつう」の裏窓をあけるようなところがそれぞれのメディアにあるとして、後者のセンスにいまだ期待するところがあるのではないか。既にして後ろ髪を引かれるように、とか。
あー、わけわかんない。
小学生理科も覚束ない私などは、つい、二酸化炭素が多くなるのは植物にとっては好ましい環境ではないのか。動物より植物のほうがエライ、ゆえに、ほかの動物さんごめんなさい、人間優先の地球を人間をして植物優先にせしめているのではないか、など。
「私たちが呼吸している二酸化炭素」って何だと揚げ足を取るのは蛇足だが、「二酸化炭素を呼吸する」という言い方が、まず、ないと思って検索してみたらヒットは、した。しかしそれは主に植物に関して言っており、もとに戻ればやはり、呼吸するとは、取り入れて吐き出す、もしくは、分解して獲得する、という相互作用だ。
けさの朝日、1面右にある記事紹介で、リードが「そのまんま続く人気なぜ」、文末が「なぜ飽きられないのだろうか。」は、なぜ、なぜと言うのか。
世の人々の気分を代弁していると言うのだろうか、少なくとも私には予断甚だしいと思われる。もしくは新聞のオピニオンとして、なぜと問うべきこととして誘導しているのだろうか。
その下ひとつ措いて、リードが「『CO2は汚染物質』判決波紋」。この場合のキャッチとしては適当かと思われる。
つまり、なんか気に入らないというそれは、朝日に対してなのか、嗚呼アメリカなのか、まるっきりアバウトなイメージ。しかし、こういう「てにをは」というか「どういう」が切り離された文章がひとり歩きすることを、朝日は時々失念する。確信犯かと思うとどうも違うということが経過でわかることがある。
これの強さ具合は、朝日以外を読まないと相対的なものがわからない。だから私はわからないが、確信犯ならまだしも、何か勘違いな思い込みがあるというイメージが水漏れのようにちょろちょろと鳴り続ける。
どういうCO2かということは、紹介記事最初に「私たちがふつうに呼吸している二酸化炭素」とある。9面記事本体のほうには排出ガス規制が大きく掲げられ、京都議定書を強調する朝日の「ふつう」だろう。
ただ、朝日に飽きてきていながらとどまる人には、「ふつう」とその「ふつう」の裏窓をあけるようなところがそれぞれのメディアにあるとして、後者のセンスにいまだ期待するところがあるのではないか。既にして後ろ髪を引かれるように、とか。
あー、わけわかんない。
小学生理科も覚束ない私などは、つい、二酸化炭素が多くなるのは植物にとっては好ましい環境ではないのか。動物より植物のほうがエライ、ゆえに、ほかの動物さんごめんなさい、人間優先の地球を人間をして植物優先にせしめているのではないか、など。
「私たちが呼吸している二酸化炭素」って何だと揚げ足を取るのは蛇足だが、「二酸化炭素を呼吸する」という言い方が、まず、ないと思って検索してみたらヒットは、した。しかしそれは主に植物に関して言っており、もとに戻ればやはり、呼吸するとは、取り入れて吐き出す、もしくは、分解して獲得する、という相互作用だ。