BS1のザ・ヒューマン(例によって録画)を見ていた。
きのうのこもれびホール「つなぐ-TUNAGU-みんなの笑顔」でダンスを見ているときと同じようにただたんにたんじゅんに、涙感。
あのダンスと松田兄弟の話とはいみみたいなことが違えども私には同じ。
表現自体の感覚
感受と表現と伝達
たまにお迎えにいく施設のさほど大きくない掲示板によく絵がかざられており(以前ここの画像フォルダに載せた気がして探してみたが見つからなかった)、同じ作者と思われる作品が多い。
できるひととできないひとがいる。それは同じ。
伝わらないのか伝えたいのか伝えなくていいのか伝えたくないのか
まるで違うけれど私と同じ。
同じだけれどまるでちがう。
青が多いRさんが紺のスタジアムコートを脱いだら水色だった。撮らせてもらった。
Rさんに私が自分のことを言うとき私は私と言わずramenさんとつい言ってしまう。つい言ってしまう、という言い方は、言っちゃいけないことを言うことだ。言っちゃいけないと思うのは、Rさんにはふつーに話してもわからないと思っている自分を制しているってことだ。
Rさんを含む大抵の利用者さんに対してramenさんと自称しながら、どうじに私はほぼ常にこのひとにはすべて見透かされているとも思っている。これもまた自分を制している部類だろうか。
なにはともあれとりあえず私はほかの意識高い系ヘルパーさんたちの側にはいない。
*** 再放送 3月22日(火)午後5:10
開演間近というときに近くの席に向かう人が知り合いであることに気づいた。挨拶することもないかというほどの。というほどなのかどうなのかも迷いながらつい目で追って、私から手を振る。
閉幕後、会釈を交わして席をたつ。ドアへ向かう途中でまた目が合うことがあり、実はうちの息子が出てたんですよと、座っている彼を紹介するように示すと彼は表情を変えずにまっすぐ私に視線を向けた。交えた視線をそのまま私は親へ移し、ダンスはいいですねとか何だったか一言投げて失礼した。ワケワカ。まんま失礼だ。背を向けた途端に私の責めは始まる。彼にきちんと挨拶するのがふつーだふつーだふつーだ。
想定外に対処できず、場面転換後即座に認識する自分の誤動作。