ひさびさのひらやらぶ。(だけならよかった?)

2024-12-27 23:03:42 | ■おもに建物。

向こうの建物は別です。手前、ほぼ毎週一回は利用者さんと通る道にある同敷地内に2軒の平屋建て。建て増し的部分だけみずいろ。



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東京新聞に能登に触れるコラムが随時掲載される。私は数度読んでその文体がたえられず読みたいのに読めない。書籍になり、著者がラジオに出た。喋りはずっと聴いていられる。その喋りどおりに書いてくれれば読めるのに。言うも詮ない馬鹿。


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堀川惠子 教誨師
p.90『人間にとって、自分が満たされ幸せと感じることが出来るかどうかを測る方法に、分母は「欲望の大きさ」で、分子は「今、自分が持っている量」という話がある。たとえその手に百万の富を得ていたとしても、分母の欲望がより大きければ渇望感は満たされることはない。』とするその5行あとにカウの言葉を載せる。

先生、私は釈放されたら一〇五歳まで生きるつもりです。だから金は必要です。養老院に入る前には世界漫遊もするつもりです。七〇歳になったら年金が入るはずだけど、それも月に一万円程度だから、まだ足りません


カウ。羨ましく思った。

欲望を満たすためにひとをあやめる。それを想像できるほど私のアタマは動かない。

幸せを測るという場合の分母の欲望とは不満からの逃亡であってカウの欲望とは異なるのではないか。

私の「不満の解消」は「欲望の充足」と一体だろうか。私は幸せを感じていない。しかし私は欲望が欲しい。

TV月曜から夜ふかしで何度も流れた 「(大意) 死なないから生きてるだけだよ」。そのたびに残念ながらも同類安堵。




ほんとになんつう不条理さなぜ見え始めたのかわけがわからない私が見ている世界は私にしか見えないのにもしやまもなく跡形もなくなる。


『教誨師』は何かと閉じたくなる遅読対象だがたぶん通読するのではないか。広島被爆は想定外の描写だった。近年見た原爆資料館の写真より数十年前に溝の口駅近くの店弁兵で見たはだしのゲンがよみがえった。


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大川原化工機事件、袴田事件の前、
ラジオで金子勝が述べる冤罪3件の最初は鹿児島の事件。例によって私は知らず検索、志布志事件。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6


あるひあるとき

気象、原発、古木、建築物、クルマに命を奪われる。おかみに人生を奪われる。命と人生ちがうかおなじか。まだ奪われていないだけなのだ私は今。


点としてはさ。
線としてはさ、


なんでそんなに人から奪い
渡したいのかカネとミライ
核とかえーあい
何でもえーあいえーあいなしでは電気なしではなんにもできないよーにどんどんどんどんもっていくその目的はなに。私利私欲だけでそんなばかなこと。 。。。 だらけ?









コメント
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