むりやりかく必要などある
だろうか。秘やかさもなく
しかし端から微細に確実に
崩れゆく違うなそこかしこ
擦れ綻びる向こうが透ける。
福島でなく地球の自分の今
沖縄でなく日本ノコトだろ
とめどない汲めど尽きない
ふと止まる失う気あすの死
いまの死。だからねあのね
ちょっとねわらっちゃうね
死んでも命があることない
地獄イヤ天国行きたいナイ
気がついたら眠ってたアル
気がついたら死んでたナイ
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安達寿子さん 80歳 主婦 京都府福知山市
うつくしい心根が行間から浮かぶ。毎日たくさんのことを為していらっしゃるかたかと思われる。
メールである。間違い電話ではない。体調を気遣う優しいメールが間違ったアドレスに届くことなどあり得ないと思う自分は、何というか浅ましラインの奈落下。
寿子さんとともにマロン君の飼い主の健康と幸せを祈る。
下の広告欄のひびこれこうじつにすぐにでも広告主に、その読みのままでは恥ずかしいですよとお知らせしたい衝動に駆られたが、とどまってよかった。なんと読んでもいいらしい。意味は同じなんだもの。
同じ今朝の東京新聞24面に外波山文明がたこ八郎のことを描いている。お二人のことをよく知らないが、たぶんなんだかうれしい。