思いがけない舞台設定だった。ほぼ目の前に演者がいる。小劇場のよう、で、まるで違う贅沢な空間。音も声も。
挫波で一度、敦賀で四、五度気を失いかけ、片桐のやや掠れた声が音と重なって科白が聞き取れないことが残念ながらもなおカーテンコール前後の胸の揺らぎが快い。
片手落ち引用(プログラムより)
五十嵐太郎『日建設計などの会社と密に連携し、デザインを進めており、4000枚以上の実施図面が完成していた。ネットに公開されたプレゼンテーションを見ると、圧迫感の低減、よく練られたデザインが潰されたのかがわかる。(←ママ) 図面がほとんどないというフェイク・ニュースも流れたが、実際は既に安全性評価と構造性能評価を取得し、確認申請を行い、着工のゴーサインを待つ状況で、首相によって劇的な白紙撤回が宣言された。当時の国会が安保法案の強行採決で紛糾していたことを踏まえれば、メディアに対する目くらましの政治判断だと疑われても仕方ないタイミングである。
(中略/丹下健三に触れている)
建築やデザインに対する態度は、前回と大きく違う。森喜朗はザハを業者呼ばわりし、JOCは設計者側の減額案になかなか応じなかったにもかかわらず、プロジェクトのマネージメントの失敗をすべて建築家に押し付けた。彼女はスケープゴートにされ、オールジャパンでやればうまくいくというかけ声があがった。それゆえ、2016年にザハが急死した後、若き日の彼女を発掘した磯崎新は憤り、こう表明している「<建築>が暗殺された。・・・あらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪招致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった」』