「誰にでもつらい経験があるはずだ」。さくっとすぽんと。

2022-03-24 18:13:17 | ・おもに音楽。

 ↑↑ 写真は ↓と直接関係のない石塚真一「BLUE GIANT」カラーページ撮。





かぎかっこつきのタイトルは、映画の前半でだれかが(笑)言うせりふの一節。うろおぼえ。

「ブルーノート・ストーリー」。

前知識は、ヴェンダースがつくったジャズ関係の映画が短期間上映される、のみ。1週間延長されたその最終日が今日。
ゼレンスキーが軽く引いたモノをさくっと切り裂くようなキング牧師の断片がすぽんと嵌まっている。


私が音楽をまず知らないのはジャズに限ったことではないが上映中たぶんしあわせだった。
インタビューと記録の映像と写真、それら記録と記憶、想像と創作であそぶアニメーション、いくつかロードムービーが挟まり、ラストに感ずる、これはドラマ。




は?    以上です。












みずいろ顔かいせついん出演「音楽こうろん」最終回の中村八大を思い出していた。まるで英語を解さないまま夜中のハーレムでセッションしていたという。あのブルーノートのヒトたちとも、と検索すると懐かしや大友良英のJAMJAM日記に、ニューヨークのマンションの写真に添え「60年代前半の半年ほど、ここに中村八大さんが住んでいたそうだ。ここからハーレムに行って、オーネット・コールマンとセッションをしたり」とあり。







 ──── 2024-04-03 (週刊現代2023/12/2・9 大友良英 p.148-149)

(略)演奏を始めると、驚きました。僕が得意とするノイズや即興演奏という分野は、なかなか理解してもらうのが難しい。でも、坂本さんは僕がやろうとすることを即座に理解して、それ以上に面白いピアノを奏でてくれる。言葉を交わしたわけではないのに、すべてが伝わる───。まさに音楽という言葉で話しているような、幸福なひとときでした。
 その初めてのセッションから数カ月後、東日本大震災が起こりました。僕はふるさとの福島を応援するプロジェクトを立ち上げ、坂本さんも協力してくれました。こうした社会活動でも坂本さんは大先輩ですから、焦る僕に、「福島、福島と声高に言うばかりだと、気持ちがついてこられない人もいるよ」とアドバイスをくれたり、精神的な面だけでなく、経済面でも助けてくれました。
 坂本さんは「偉大な音楽家」として扱われるのが嫌いでした。'13年には、福島で開催した盆踊りに浴衣で参加してくれたんです。僕はYMOの曲を、坂本さんは僕が作曲した『あまちゃん』のテーマ曲を、その場のノリで演奏して……楽しかったなぁ。
 '14年に坂本さんと、福島県双葉町を視察するツアーに参加したときのことも忘れられません。線量計の音がけたたましく鳴り、防護服の中で僕は言葉を失うばかりでした。でも坂本さんは、自分が目にした風景、受けた衝撃を、言葉をつくして記者に訴えました。坂本さんは自分の世界的知名度を、社会を良くするために利用する覚悟を持っていたのだと思います。
 (略)
亡くなる直前の今年3月、小山田圭吾さんとのライブには「坂本さんにも参加してほしい」と声をかけたら音源を送ってくれたので、そこまで深刻な状態だとは思っていませんでした。でもこれが、坂本さんの最後の音源になってしまいました。




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