マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

『グッバイ、サマー』

2016年08月11日 | 映画

 

「旅」とはいったい何か?

私にとっての「旅」は自分が何者であるかを知るためのものである。異国の人々、異国の風景、異国の文化に出会うことにより、日本人という「私」を確認できるからである。そして、何よりも魅力的なのは、「日本人」という「私」が束の間、異文化の中にいつしか溶け込み、得難い経験をして日本に戻ることなのである。

 

今回の『グッバイ、サマー』は『スタンド・バイ・ミー』のフランス版のような作品である。学校や家庭で悶々とした悩みを抱えている14歳の二人の少年が、夏休みの間、手作りのキャンピングカーを作り、旅に出る物語である。

ここで、最大のエッセンスとなるのが少年たちの足となる「ログハウスつきの手作りの車」だ。

免許もない二人の少年たちが苦肉の策で作った「車」。それは、少年たちだけでなく、世界に生きる大人たちにとっても、夢のような「車」なのである。

この「車」は、学校や家庭、いや社会が管理するある種の「枠」から脱出するための、自由と解放の象徴なのである。

夏休みが終わり、新学期が始まる。そこで待っているものは?

子供のころ、友達との出会いと別れを経験をした者ならば、誰もが共感できるのではないだろうか…。

 

9月10日より公開

[監督・脚本] ミシェル・ゴンドリー

[出演]アンジュ・ダルジャン  テオフィル・バケ  オドレイ・トトゥ


『海よりもまだ深く』

2016年05月19日 | 映画

高度成長、中流階級の象徴。そして、憧れの集合住宅がかつての「団地」だった。

私も若い頃、2年間ほど、団地住まいをしたことがあった。緑に囲まれ、公園もたくさんあり、環境は抜群だった。

しかし、現在では、老朽化が進み、そこに住む人は高齢者ばかりになっているという。

是枝裕和監督ご自身も団地で青春時代をおくったことから、今回の『海よりもまだ深く』を撮ったという。

夫を亡くし、団地で一人住まいをしている年老いた母親役が樹木希林。そこに、夢ばかりを追う息子が訪ねてくる。

その展開は是枝監督の「歩いても歩いても」を見た人なら、誰もが想像できるだろう。

登場する家族たちの、何気ない所作と会話。

でも、そこには高齢化に向かう団地の未来への危惧が映し出されている。

とりわけ、母親役の樹木希林の存在は、この作品の重要な核になっている点は見逃せない。

樹木希林なくして、この作品は成立しなかったと言っても過言ではない。

5月21日から全国公開

【監督】是枝裕和

【出演】樹木希林  阿部 寛  真木よう子 小林聡美 リリー・フランキー  橋爪 功


『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』

2016年04月03日 | 映画

あのマイケル・ムーア監督である。最新作である。

今回、ムーア監督は、アメリカを出て、イタリア、フランス、フィンランド、スロベニア、ドイツ、ポルトガル、ノルウエー、チュニジア、アイスランドに上陸する。

それぞれの国には、それぞれの問題や病巣があるのだが、ムーア監督はアメリカが見習うべきそれぞれの国の優れた常識を発見する。

その痛快さったらない。たとえば、フランスの小学校の給食は食器はすべて陶器、贅を尽くしたフレンチフルコースが支給されている。しかも無料。スロベニアでは、学校の授業料がすべて無料。

アメリカでは考えらない常識である。そして、これはまさにアメリカを踏襲している日本の常識にも然りなのである。

ムーア監督が日本に来なかった理由もこの辺にあるのかもしれない。

いずれにしても、ムーア監督が侵略する9か国は存分に楽しめる。暗い世界観の中で、なぜかポジティブになれ、大きな希望が持てる痛快なドキュメンタリーコメディになっている。

改めて、マイケル・ムーア監督に感服である。

  

5月27日から公開 TOHOシネマズみゆき座、角川シネマ新宿などでロードーショー。


『寅さんとマドンナたち』

2016年03月04日 | 講演

『寅さんとマドンナたち』というテーマで講演した。

歴代の最多マドンナ、浅丘ルリ子こと松岡リリー。竹下景子、吉永小百合。そして、48作全シリーズに登場する妹・さくらこと倍賞千恵子こそ、実は本当のマドンナなのではないだろうかという思い、その胸のうちを話した。

いずれにしても、浅丘ルリ子、竹下景子、吉永小百合、倍賞千恵子も、『男はつらいよ』シリーズに出演したことで、女優としての本来の才能を開花したと言っても過言ではない。

渥美清が病に倒れなければ、完結50作目のマドンナは黒柳徹子さんだったそうだ。熟年になった寅さんの最後のマドンナとして、徹子さんはぴったりだったような気がする。

幻の50作目だが、どんなものかと想像すると、実際に見たくてたまらなくなった。


『キャロル』

2016年02月13日 | 映画

レスビアンをテーマにした作品で感動したのが、1961年の『噂の二人』。監督がウイリアム・ワイラー。主演がオードリー・ヘップバーン、シャーリー・マクレーンだった。オードリーもシャーリーも一番脂がのったころで、最高に美しかった。

『キャロル』を見た時、私はなぜか、ふっと『噂の二人』が頭に浮かんだ。

裕福な家に嫁ぎ、かわいい娘までいる主婦・キャロルを演じるのがケイト・ブランシェット。デパートの店員をしながらも、写真家を目指すのがルーニー・マーラー。

この二人の出会いは、売り子とお客の関係から始まる。

一見、ありそうでなさそうなミステリアスな出会い。お互いが惹かれ合うエクスキューズが、二人だけの車の旅によって露見されていく。

女性という同性であるがゆえに、お互いの心の病みへの憐憫の情が沸騰点に達した時、二人はついに結ばれる。

その狂おしい二人の姿を、優しく眺めるようにカメラが追う。まさに耽美と退廃である。

ラストのケイト・ブランシェットの表情は、もしかしたら、映画史上、最高の表情として、賞賛され、語り継がれるに違いない。


『珍遊記』

2016年01月25日 | 映画

時々、とてつもなく狂いたくなることがある。社会の矛盾や政治の腐敗に怒ると、必ず自分の精神構造が破壊され、どこかでその怒りを鎮めるための自浄作用が欲しくなる。

そんな時にも、やっぱり私は映画に逃避するのだ。

今回、そのカタルシスになる作品が『珍遊記』だった。伝説のギャグ漫画とのことで、『珍遊記』を全巻そろえている息子に、「絶対に見るべし!」と強く勧められたので、試写を見た。

驚いた!あぜーん!だった。

主人公の山田太郎は、オナラで何人もの人をも吹っ飛ばすというシーンに、私は「ウヒャウヒャ」と大笑いしていた。

だから、何なのさ?なのだが、社会の矛盾や政治の腐敗に抵抗するには、こういった作品しかないだろう。

そして、山田太郎を演じるのは松山ケンイチ以外いないと確信した。『デトロイト・メタル・シティ』のヨハネ・クラウザー二世役を見れば、一目瞭然であった。

理屈や正論が無視される日本国家に抗うには、もはや『珍遊記』以外ないだろう。

2月27日から公開

【監督】山口雄大

【出演】松山ケンイチ 倉科カナ 溝端淳平 笹野高史 ピエール瀧


『独裁者と小さな孫』

2015年11月19日 | 映画

『独裁者と小さな孫』の試写を見てから約一か月後に、パリ同時多発テロが起こった。

この作品の素晴らしさをどう描こうと考えていた矢先に、極悪非道、悲惨なテロに胸を痛めた。犠牲になった人々に哀悼の意を捧げる。

だからこそ、ここにきて『独裁者と小さな孫』の存在意義が大きく浮き上がってくるのだ。

独裁政権に支配されるある国。この作品では決して国を特定していない。架空の国として描いている。つまり、それはアラブの春のその後の国々でもあり、シリアでもあり、どこにでもあてはまるのだ。

主役の老独裁者はクーデターにより幼い孫と共に逃亡を余儀なくされる。一般市民に化け、変装をして逃げ続ける。そこで独裁者は自らが独裁を強いた自国の市民の真実を目の当たりにするのである。

その結論は決してセンチメンタルなものでもなければ、お涙頂戴のものでもない。

一国の独裁者と孫の命が、計り知れない憎しみを持った市民たちの手にかかるまさにその時に、「奇跡」が起こるのである。

暴力は暴力を生み、永遠に続いていく。憎しみは憎しみを生み、永遠に続いていく。いつかはどこかで誰かが断ち切らなければ…。

この作品はそんな警鐘を鳴らしている。

パリの同時多発テロにより、有志国がシリア、イラクのイスラム国への空爆を強化したところで、何も解決にもならないと、『独裁者と小さな孫』が叫んでいるようでならないのだ。

いつも戦争やテロで犠牲になるのは何の罪もない市井の人々であることを、絶対に忘れてはならないのだ!

12月12日から公開

【監督】モフセン・マフマルバフ

【キャスト】ミシャ・ゴミアシュビリ ダチ・オルウェラシュビリ ラ・スキタシュビリ グジャ・ブルデュリ ズラ・ベガリシュビリ


『母と暮せば』

2015年11月07日 | 映画

山田洋次監督は現代の映画界の宝である。

宝物である以上、ずっと永遠に宝物でいて欲しいが、山田監督も人間、御年84歳である。

「男はつらいよ」シリーズが山田監督の子供ならば、今回の『母と暮せば』は、孫のような作品なのではないかと思った。

今、戦争へと誘うような不穏な動きがある日本の国家に対して、若い人間の生命を問題にした作品を作りあげ、若者の行く末に警鐘を鳴らしているからだ。

もちろん、原作は井上ひさしの「父と暮せば」。2004年、黒木和雄監督、宮沢りえ、原田芳雄主演で映画化されている。こちらは原爆投下の広島が舞台。

今回の『母と暮せば』は原爆投下の長崎が舞台。ともに、日本の戦争の歴史の中で、原爆投下の恐ろしさと悲劇を渾身の力で描いている。

長崎の原爆で最愛の息子を失った母親。息子役は「嵐」の二宮和也、母親役は吉永小百合。

幽霊となってこの世に出てきた息子と母親の何気ない会話。

「浩二はよう笑うのね」

「悲しいことはいくらでもあるけん、なるべく笑うようにしとるとさ」

この会話に『母と暮せば』の重要なファクターが込められていると思った。

とてつもないほど苦しくて、とてつもないほど悲しい話なのに、ところどころに喜劇の色が見え隠れする。どん底でも「笑う」ことは人を救う。これこそ山田洋次監督の真骨頂であるからだ。

そして、吉永小百合、二宮和也、黒木華、子役の本田望結ちゃんが、今までのどの作品にもないような深い感性で丁寧に演じている。

戦後70年。平和な日本が永遠に続いて欲しいと強く訴えているようなそれぞれの熱い演技に、私は鳥肌が立っていた。

戦争の愚かさを訴えながら、平和を守り続ける強い力が結集した素晴らしい作品だった。

 


『ボーダレス ぼくの船の国境線』

2015年09月04日 | 映画

 

 

 

久しぶりのイラン映画である。

従来の子供が主演となるイラン映画と比較すると、今回の『ボーダレス ぼくの船の国境線』はどこか異臭を放っていた。

一つには、舞台がイランとイラクの国境線の立ち入り禁止区域に放置されて廃船にあることだ。

ここでイランの少年が一人で魚や貝を捕って密かにたくましく生活している。多分、彼は戦争孤児なのであろう。そこに、空爆から逃げてきたイラクの少年がこのイラン少年のアジトに侵入してくる。

イランとイラク。激しく警戒するイラン少年。すると、これは1980年のフセイン政権がイランを攻撃したイライラ戦争の話なのだろうか?

わからない…。

二人の少年はこの廃船の真ん中に大きなロープを張り、互いの陣地を守り合う。

私はいつの間にか、この二人の少年のやり取りに、目が釘付けになっていた。

イランの少年はペルシャ語、イラクの少年はアラビア語。二人の会話は成り立たない。

しかし、中盤でイラクの少年に思いもかけない秘密が露呈される。

その秘密は、まさに南アフリカのヨハネスブルグを舞台にした名作「ツォツィ」を彷彿させる驚くべきからくりなのである。

その「秘密」に、見る側は翻弄されるうちに、またもそこに第3の侵入者が現れる。イラク攻撃に従軍し、戦争に嫌気がさしたアメリカ人脱走兵なのである。

アラビア語、ペルシャ語、そして、英語がまた一つ加わる。三つ巴の言語の壁で、3人の意志疎通は全く取れない。

しかしである。

戦争に巻き込まれた人々は言語を超え、人種を超え、共に悲惨な運命を辿るのだと、この作品は強く訴えている。

「ロープ」という「ボーダー」があるにも関わらず、いつしかそれが取り壊され「ボーダレス」という本来のタイトルに変化するあたりが見事だった。

ラストシーンをどう理解するか?それは見た人の心の強さに関わってくるだろう。

【公開】2015年10月17日から

【監督】アミルホセイン・アスガリ

【出演】アリレザ・バレディ,ゼイナブ・ナセルポァ,アラシュ・メフラバン,アルサラーン・アリプォリアン


『わたしに会うまでの1600キロ』

2015年08月19日 | 映画

「旅」と「人生」は似ている。

行く手に何が起こるかわからない。そして、どんな人々と出会うのかも未知である。唯一違う点は、「旅」は自分の意志で止めることができるが、「人生」は絶対に止めることができない。

『わたしに会うまでの1600キロ』は「旅」を止めることなく最後まで突っ走った一人の女性の物語である。

最愛の母(ローラ・ダーン)を亡くした喪失感から、理解のある夫を裏切り、薬と男に溺れていくシェリル・スレイドは実在の人物である。何もかも失ってしまい、自分自身を取り戻すために、1600キロに及ぶ旅を実行したシェリル役をリース・ウィザースプーンが見事に演じていた。

「旅」に出る、出たい人の心の中は千差万別である。私自身も旅好きの「旅病」にかかっているものの、自分自身を取り戻すための「旅」はしたことがない。

そこまで、人生に追い詰められたことがないということなのか?

いや、それは違うのではないか?

人生に追い詰められ、自分を取り戻す「旅」も、単に未知の国を訪れてみたいという好奇心の「旅」も、コンセプトは全く違うが、そこで起こり得る未知の出来事は、すべて同じはずなのである。

どんな「旅」であれ、いつでも自分を試されるののが旅なのである。試され試され、一つ一つ克服して、そして、最終目的地に到着した「旅人」の心は表裏一体なのである。

たまたま、今回の主人公の旅が1600キロの及ぶパシフィッククレストレイルという極寒の雪山や酷暑の砂漠を超えるという過酷な旅であったことに、旅病の私は畏怖の念を感じるのである。

主人公が旅の到着点で見たものは、旅に出た者にしか味わえない深い共感が生まれる。

その共感は、優しい解放感と力強い生への希望を伴って…。

挿入曲がサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」。この曲無くして、この映画が語れないのも事実である。

8月28日から公開

【監督】ジャン・マルク・バレ

【出演】リース・ウィザースプーン  ローラ・ダーン

 

『人生スイッチ』

2015年07月10日 | 映画

オムニバス映画には、各章に作る側の何らかの共通した思想や主張が込められている。

しかし、この『人生スイッチ』の6本の物語には、一貫した共通点が全くない。

バラバラなのである。

1話「おかえし」 2話「おもてなし」 3話「エンスト」 4話「ヒーローになるために」

5話「愚息」 6話「HAPPY WEDDING」

が、各章のタイトルである。

最近、ぶっちゃけると、どの試写を見ても、まったく印象に残らない作品ばかりだった。心をぐっと鷲づかみにしてくれる作品は皆無だった。内容すらも忘れている作品もあった。

しかし、今回の『人生スイッチ』を見た時には、ぶっ飛んだのである。

この6話はほんの些細なきっかけで、ある日、不運の連鎖に巻き込まれていくという主人公ばかりを描いていた。それが唯一の共通点と言えば共通点なのだが。

1話から6話まで、全ての内容とシーンが未だに鮮明に頭に浮かぶ。忘れようとしても忘れられない強烈なインパクトがあり過ぎたからだ。

この映画はアルゼンチンから生まれた点にも興味深い。

久しぶりに手垢のついてない斬新な演出と驚くべきブラックユーモア。どの章も甲乙つけがたいが、私はラストの6話の「HAPPY WEDDING」が一番面白かった。

 7月25日から公開

【監督】ダミアン・ジフロン

【出演】リカルド・ダリン  ダリオ・グランディネッティ  エリカ・リバス  他


「マリリン・モンローとオードリー・ヘップバーン」

2015年07月08日 | 講演

船橋市南福祉センターの教養講座で「マリリン・モンローとオードリー・ヘップバーン  映画女優物語」というテーマで、講演した。

モンローとオードリーの生い立ちから作品論を吐きそうなくらい、熱く語った。

私の持論は「マリリンは愛されたかった女優で、オードリーは愛したかった女優」。

幼少期の生い立ちから、私はこの二大女優をこう表現した。

モンローは36歳で自殺とも他殺ともわからないような謎めいた死で、人生の幕を閉じた。そして、その死は未だに波紋を呼んでいる。まるで、マリリンの人生そのものが、映画そのものだったような気がする。

オードリーは64歳で死去。決して長生きではなかったが、晩年はユニセフの大使として、社会貢献をし晩節を美しく飾った。

あまりにも相違点のある二人の女優の人生に、

「皆さんは、マリリンとオードリーの人生のどちらに共感できますか?」

と、観客に聞いた。

みんな、黙っていた。当たり前である。そんな大それた質問をした私がアホだった。

しかし、私ははっきりと言い切った。

「私はマリリン・モンローの人生に共感します。マリリンは切なくて悲しくて、抱きしめてあげたいくらいかわいい存在だったから」と。

そしたら、奇跡が起こった。マリリンが降臨して、私の体に乗り移ったのだ。

その姿を見て、観客は大爆笑。ま、こんなパフォーマンスも、ライブのようで、ある種の講演会のやり方の一つなのかもしれないと、実感した。

 それにしても、私はいい年して「アホ」だな。

 


『ビリギャル』

2015年05月30日 | 映画

『ビリギャル』がずっと気になっていたので、公開がかなりたってから、昨日、やっと見た。

 偏差値30の金髪ギャルが慶応大学に現役で合格したという、サクセスストーリーに魅力を感じていた。坪田信貴の原作本はどこの本屋さんでも山積みだったので、たくさんの読者の心をつかんでいるのではないかとも思ったからだ。

しかし、「いい本」が「いい映画」になるとは限らない。

今回は「いい本」が「いい映画」になった稀有な例かもしれない。

無気力で人生に見切りをつけいた女子高校生・さえこ(有村架純)の存在は、物語の主人公として君臨するには、生い立ちが弱い。家庭環境に不幸なものがあまり見えない。唯一、父親が暴君で、長男だけに愛情を注いでいる点だけがネックだが、こんな親父はどこにでも転がっている。父親は単に自分の叶えられなかったプロ野球選手の夢を息子に託しているだけの話しである。

その不足分を埋めるように母親の子供への愛情は深い。

子供のころからイジメを受け、父親の愛情を受けられなかったので、拗ねて無気力になってしまった少女なら、これもどこにでもいる。

しかし、これこそが今の日本が抱える子供の最大の苦悩であることも、まごうことなき事実なのだろう。この子供たちに、もっと不幸な子供がいるのだと、説得したところで、何の解決にもならない。

だからこそ、ニュートラルな家庭環境にある子供の不安や不満、孤独感が新鮮に映し出されているのだ。

失望と行き場を失った人間の苦しさや孤独感は、それぞれ温度差はあっても、それに打ち勝つ姿は変わらないのだということを『ビリギャル』はたくましく訴えてくれる。

誰にでも可能性があるのだと、力づけてくれる。

映画の登場人物が最終章で全てが「いい人間」になっている点には、騙されつつも、騙されたままでいたいと思わせる優しさ。

とりわけ、ビリギャルを演じた有村架純の偏差値が上がるたびに、表情をキリッと変えていく演技の細かさにびっくりだった。

  (公開中)

【監督】土井裕泰

【出演】有村架純  伊藤淳史  野村周平 吉田羊 


基調講演「究極の恋愛映画」

2015年05月06日 | 講演

基調講演で「究極の恋愛映画」というテーマで話しました。

洋画「カサブランカ」「ローマの休日」「恋におちて」「her/世界でひとつの彼女」。

邦画「幸福の黄色いハンカチ」「ナビィの恋」。

どれもこれも、究極の恋愛映画にふさわしい名作ばかりです。

この中でも邦画の「ナビィの恋」は沖縄を舞台にした老女の初恋を描き、実にさわやかでポジティブな作品だった。

洋画の「her/世界でひとつの彼女」は大好きな監督・スパイク・ジョーンズ。コンピューター人工知能に恋する男・セオドア役にホアキン・フェニックス。人工知能の声がスカーレット・ヨハンソン。近未来の究極の恋愛の形です。ラブストーリーとはいえどこか怖い余韻も残します。


『龍三と七人の子分たち』

2015年03月02日 | 映画

こんな面白い話を心から待っていた。

そして、こんな奇想天外なヤクザ映画は、北野武監督以外に誰も撮れなかったと、強く確信したのだ。

「金無し、先無し、怖いモノ無し」の老いた元ヤクザの組長と組員たち。

元組長役を演じる藤竜也は、マジメなサラリーマンの長男の家にやっかいになり、嫁に疎まれている。組員の一人の「早撃ちのマック」を演じる品川徹は、介護病院に入院中。若頭演じる近藤正臣は、家族と離散して、古い団地で民生員の協力で、生活保護を受けて生活している。

老いた七人の子分たちのキャラの愉快さは、まだまだあるのだが、この人物設定だけで、もういてもたってもいられないほど見たくなり、誰もが相好を崩すだろう。

とりわけ北野監督が、現代の社会は「ヤクザ」よりも「怖い集団」や個人が存在するという時代の病巣に警鐘を鳴らしている点にも納得がいく。

映画全体は、まるでビートたけしの漫才のような展開で、セリフ一つ一つが、まるで漫才ネタ。

そのアイロニーとユーモアが、これまた的を射ていて痛快なのである。

「老いとヤクザ」を、現代の日本が抱えている「高齢化問題」と「犯罪」に、かくもうまく繋げた北野武監督の感性にただただ敬服するのみである。

 4月25日から公開

【監督】北野武

【出演】藤竜也  近藤正臣  中尾彬 品川徹  樋浦勉 伊藤幸純 吉澤健、小野寺昭

 ビートたけし