マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

『珍遊記』

2016年01月25日 | 映画

時々、とてつもなく狂いたくなることがある。社会の矛盾や政治の腐敗に怒ると、必ず自分の精神構造が破壊され、どこかでその怒りを鎮めるための自浄作用が欲しくなる。

そんな時にも、やっぱり私は映画に逃避するのだ。

今回、そのカタルシスになる作品が『珍遊記』だった。伝説のギャグ漫画とのことで、『珍遊記』を全巻そろえている息子に、「絶対に見るべし!」と強く勧められたので、試写を見た。

驚いた!あぜーん!だった。

主人公の山田太郎は、オナラで何人もの人をも吹っ飛ばすというシーンに、私は「ウヒャウヒャ」と大笑いしていた。

だから、何なのさ?なのだが、社会の矛盾や政治の腐敗に抵抗するには、こういった作品しかないだろう。

そして、山田太郎を演じるのは松山ケンイチ以外いないと確信した。『デトロイト・メタル・シティ』のヨハネ・クラウザー二世役を見れば、一目瞭然であった。

理屈や正論が無視される日本国家に抗うには、もはや『珍遊記』以外ないだろう。

2月27日から公開

【監督】山口雄大

【出演】松山ケンイチ 倉科カナ 溝端淳平 笹野高史 ピエール瀧


『独裁者と小さな孫』

2015年11月19日 | 映画

『独裁者と小さな孫』の試写を見てから約一か月後に、パリ同時多発テロが起こった。

この作品の素晴らしさをどう描こうと考えていた矢先に、極悪非道、悲惨なテロに胸を痛めた。犠牲になった人々に哀悼の意を捧げる。

だからこそ、ここにきて『独裁者と小さな孫』の存在意義が大きく浮き上がってくるのだ。

独裁政権に支配されるある国。この作品では決して国を特定していない。架空の国として描いている。つまり、それはアラブの春のその後の国々でもあり、シリアでもあり、どこにでもあてはまるのだ。

主役の老独裁者はクーデターにより幼い孫と共に逃亡を余儀なくされる。一般市民に化け、変装をして逃げ続ける。そこで独裁者は自らが独裁を強いた自国の市民の真実を目の当たりにするのである。

その結論は決してセンチメンタルなものでもなければ、お涙頂戴のものでもない。

一国の独裁者と孫の命が、計り知れない憎しみを持った市民たちの手にかかるまさにその時に、「奇跡」が起こるのである。

暴力は暴力を生み、永遠に続いていく。憎しみは憎しみを生み、永遠に続いていく。いつかはどこかで誰かが断ち切らなければ…。

この作品はそんな警鐘を鳴らしている。

パリの同時多発テロにより、有志国がシリア、イラクのイスラム国への空爆を強化したところで、何も解決にもならないと、『独裁者と小さな孫』が叫んでいるようでならないのだ。

いつも戦争やテロで犠牲になるのは何の罪もない市井の人々であることを、絶対に忘れてはならないのだ!

12月12日から公開

【監督】モフセン・マフマルバフ

【キャスト】ミシャ・ゴミアシュビリ ダチ・オルウェラシュビリ ラ・スキタシュビリ グジャ・ブルデュリ ズラ・ベガリシュビリ


『母と暮せば』

2015年11月07日 | 映画

山田洋次監督は現代の映画界の宝である。

宝物である以上、ずっと永遠に宝物でいて欲しいが、山田監督も人間、御年84歳である。

「男はつらいよ」シリーズが山田監督の子供ならば、今回の『母と暮せば』は、孫のような作品なのではないかと思った。

今、戦争へと誘うような不穏な動きがある日本の国家に対して、若い人間の生命を問題にした作品を作りあげ、若者の行く末に警鐘を鳴らしているからだ。

もちろん、原作は井上ひさしの「父と暮せば」。2004年、黒木和雄監督、宮沢りえ、原田芳雄主演で映画化されている。こちらは原爆投下の広島が舞台。

今回の『母と暮せば』は原爆投下の長崎が舞台。ともに、日本の戦争の歴史の中で、原爆投下の恐ろしさと悲劇を渾身の力で描いている。

長崎の原爆で最愛の息子を失った母親。息子役は「嵐」の二宮和也、母親役は吉永小百合。

幽霊となってこの世に出てきた息子と母親の何気ない会話。

「浩二はよう笑うのね」

「悲しいことはいくらでもあるけん、なるべく笑うようにしとるとさ」

この会話に『母と暮せば』の重要なファクターが込められていると思った。

とてつもないほど苦しくて、とてつもないほど悲しい話なのに、ところどころに喜劇の色が見え隠れする。どん底でも「笑う」ことは人を救う。これこそ山田洋次監督の真骨頂であるからだ。

そして、吉永小百合、二宮和也、黒木華、子役の本田望結ちゃんが、今までのどの作品にもないような深い感性で丁寧に演じている。

戦後70年。平和な日本が永遠に続いて欲しいと強く訴えているようなそれぞれの熱い演技に、私は鳥肌が立っていた。

戦争の愚かさを訴えながら、平和を守り続ける強い力が結集した素晴らしい作品だった。

 


『ボーダレス ぼくの船の国境線』

2015年09月04日 | 映画

 

 

 

久しぶりのイラン映画である。

従来の子供が主演となるイラン映画と比較すると、今回の『ボーダレス ぼくの船の国境線』はどこか異臭を放っていた。

一つには、舞台がイランとイラクの国境線の立ち入り禁止区域に放置されて廃船にあることだ。

ここでイランの少年が一人で魚や貝を捕って密かにたくましく生活している。多分、彼は戦争孤児なのであろう。そこに、空爆から逃げてきたイラクの少年がこのイラン少年のアジトに侵入してくる。

イランとイラク。激しく警戒するイラン少年。すると、これは1980年のフセイン政権がイランを攻撃したイライラ戦争の話なのだろうか?

わからない…。

二人の少年はこの廃船の真ん中に大きなロープを張り、互いの陣地を守り合う。

私はいつの間にか、この二人の少年のやり取りに、目が釘付けになっていた。

イランの少年はペルシャ語、イラクの少年はアラビア語。二人の会話は成り立たない。

しかし、中盤でイラクの少年に思いもかけない秘密が露呈される。

その秘密は、まさに南アフリカのヨハネスブルグを舞台にした名作「ツォツィ」を彷彿させる驚くべきからくりなのである。

その「秘密」に、見る側は翻弄されるうちに、またもそこに第3の侵入者が現れる。イラク攻撃に従軍し、戦争に嫌気がさしたアメリカ人脱走兵なのである。

アラビア語、ペルシャ語、そして、英語がまた一つ加わる。三つ巴の言語の壁で、3人の意志疎通は全く取れない。

しかしである。

戦争に巻き込まれた人々は言語を超え、人種を超え、共に悲惨な運命を辿るのだと、この作品は強く訴えている。

「ロープ」という「ボーダー」があるにも関わらず、いつしかそれが取り壊され「ボーダレス」という本来のタイトルに変化するあたりが見事だった。

ラストシーンをどう理解するか?それは見た人の心の強さに関わってくるだろう。

【公開】2015年10月17日から

【監督】アミルホセイン・アスガリ

【出演】アリレザ・バレディ,ゼイナブ・ナセルポァ,アラシュ・メフラバン,アルサラーン・アリプォリアン


『わたしに会うまでの1600キロ』

2015年08月19日 | 映画

「旅」と「人生」は似ている。

行く手に何が起こるかわからない。そして、どんな人々と出会うのかも未知である。唯一違う点は、「旅」は自分の意志で止めることができるが、「人生」は絶対に止めることができない。

『わたしに会うまでの1600キロ』は「旅」を止めることなく最後まで突っ走った一人の女性の物語である。

最愛の母(ローラ・ダーン)を亡くした喪失感から、理解のある夫を裏切り、薬と男に溺れていくシェリル・スレイドは実在の人物である。何もかも失ってしまい、自分自身を取り戻すために、1600キロに及ぶ旅を実行したシェリル役をリース・ウィザースプーンが見事に演じていた。

「旅」に出る、出たい人の心の中は千差万別である。私自身も旅好きの「旅病」にかかっているものの、自分自身を取り戻すための「旅」はしたことがない。

そこまで、人生に追い詰められたことがないということなのか?

いや、それは違うのではないか?

人生に追い詰められ、自分を取り戻す「旅」も、単に未知の国を訪れてみたいという好奇心の「旅」も、コンセプトは全く違うが、そこで起こり得る未知の出来事は、すべて同じはずなのである。

どんな「旅」であれ、いつでも自分を試されるののが旅なのである。試され試され、一つ一つ克服して、そして、最終目的地に到着した「旅人」の心は表裏一体なのである。

たまたま、今回の主人公の旅が1600キロの及ぶパシフィッククレストレイルという極寒の雪山や酷暑の砂漠を超えるという過酷な旅であったことに、旅病の私は畏怖の念を感じるのである。

主人公が旅の到着点で見たものは、旅に出た者にしか味わえない深い共感が生まれる。

その共感は、優しい解放感と力強い生への希望を伴って…。

挿入曲がサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」。この曲無くして、この映画が語れないのも事実である。

8月28日から公開

【監督】ジャン・マルク・バレ

【出演】リース・ウィザースプーン  ローラ・ダーン

 

『人生スイッチ』

2015年07月10日 | 映画

オムニバス映画には、各章に作る側の何らかの共通した思想や主張が込められている。

しかし、この『人生スイッチ』の6本の物語には、一貫した共通点が全くない。

バラバラなのである。

1話「おかえし」 2話「おもてなし」 3話「エンスト」 4話「ヒーローになるために」

5話「愚息」 6話「HAPPY WEDDING」

が、各章のタイトルである。

最近、ぶっちゃけると、どの試写を見ても、まったく印象に残らない作品ばかりだった。心をぐっと鷲づかみにしてくれる作品は皆無だった。内容すらも忘れている作品もあった。

しかし、今回の『人生スイッチ』を見た時には、ぶっ飛んだのである。

この6話はほんの些細なきっかけで、ある日、不運の連鎖に巻き込まれていくという主人公ばかりを描いていた。それが唯一の共通点と言えば共通点なのだが。

1話から6話まで、全ての内容とシーンが未だに鮮明に頭に浮かぶ。忘れようとしても忘れられない強烈なインパクトがあり過ぎたからだ。

この映画はアルゼンチンから生まれた点にも興味深い。

久しぶりに手垢のついてない斬新な演出と驚くべきブラックユーモア。どの章も甲乙つけがたいが、私はラストの6話の「HAPPY WEDDING」が一番面白かった。

 7月25日から公開

【監督】ダミアン・ジフロン

【出演】リカルド・ダリン  ダリオ・グランディネッティ  エリカ・リバス  他


『ビリギャル』

2015年05月30日 | 映画

『ビリギャル』がずっと気になっていたので、公開がかなりたってから、昨日、やっと見た。

 偏差値30の金髪ギャルが慶応大学に現役で合格したという、サクセスストーリーに魅力を感じていた。坪田信貴の原作本はどこの本屋さんでも山積みだったので、たくさんの読者の心をつかんでいるのではないかとも思ったからだ。

しかし、「いい本」が「いい映画」になるとは限らない。

今回は「いい本」が「いい映画」になった稀有な例かもしれない。

無気力で人生に見切りをつけいた女子高校生・さえこ(有村架純)の存在は、物語の主人公として君臨するには、生い立ちが弱い。家庭環境に不幸なものがあまり見えない。唯一、父親が暴君で、長男だけに愛情を注いでいる点だけがネックだが、こんな親父はどこにでも転がっている。父親は単に自分の叶えられなかったプロ野球選手の夢を息子に託しているだけの話しである。

その不足分を埋めるように母親の子供への愛情は深い。

子供のころからイジメを受け、父親の愛情を受けられなかったので、拗ねて無気力になってしまった少女なら、これもどこにでもいる。

しかし、これこそが今の日本が抱える子供の最大の苦悩であることも、まごうことなき事実なのだろう。この子供たちに、もっと不幸な子供がいるのだと、説得したところで、何の解決にもならない。

だからこそ、ニュートラルな家庭環境にある子供の不安や不満、孤独感が新鮮に映し出されているのだ。

失望と行き場を失った人間の苦しさや孤独感は、それぞれ温度差はあっても、それに打ち勝つ姿は変わらないのだということを『ビリギャル』はたくましく訴えてくれる。

誰にでも可能性があるのだと、力づけてくれる。

映画の登場人物が最終章で全てが「いい人間」になっている点には、騙されつつも、騙されたままでいたいと思わせる優しさ。

とりわけ、ビリギャルを演じた有村架純の偏差値が上がるたびに、表情をキリッと変えていく演技の細かさにびっくりだった。

  (公開中)

【監督】土井裕泰

【出演】有村架純  伊藤淳史  野村周平 吉田羊 


『龍三と七人の子分たち』

2015年03月02日 | 映画

こんな面白い話を心から待っていた。

そして、こんな奇想天外なヤクザ映画は、北野武監督以外に誰も撮れなかったと、強く確信したのだ。

「金無し、先無し、怖いモノ無し」の老いた元ヤクザの組長と組員たち。

元組長役を演じる藤竜也は、マジメなサラリーマンの長男の家にやっかいになり、嫁に疎まれている。組員の一人の「早撃ちのマック」を演じる品川徹は、介護病院に入院中。若頭演じる近藤正臣は、家族と離散して、古い団地で民生員の協力で、生活保護を受けて生活している。

老いた七人の子分たちのキャラの愉快さは、まだまだあるのだが、この人物設定だけで、もういてもたってもいられないほど見たくなり、誰もが相好を崩すだろう。

とりわけ北野監督が、現代の社会は「ヤクザ」よりも「怖い集団」や個人が存在するという時代の病巣に警鐘を鳴らしている点にも納得がいく。

映画全体は、まるでビートたけしの漫才のような展開で、セリフ一つ一つが、まるで漫才ネタ。

そのアイロニーとユーモアが、これまた的を射ていて痛快なのである。

「老いとヤクザ」を、現代の日本が抱えている「高齢化問題」と「犯罪」に、かくもうまく繋げた北野武監督の感性にただただ敬服するのみである。

 4月25日から公開

【監督】北野武

【出演】藤竜也  近藤正臣  中尾彬 品川徹  樋浦勉 伊藤幸純 吉澤健、小野寺昭

 ビートたけし


『トラッシュ!この街が輝く日まで』

2015年01月01日 | 映画

2014年のワールドカップの開催地がブラジルであったことから、ブラジルを舞台にした作品『トラッシュ!この街が輝く日まで』には、かなり前から興味があった。

ワールドカップ、オリンピック開催ということで、リオの貧民街のファベーラ地区を一掃し、安全な街にしている警察のドキュメンタリーを見た。これは、一昨年亡くなってしまった、友人で、作家の戸井十月さんが、プロデュースと取材した番組で、リオで生きる子供たちが、オリンピックに向けて頑張っている姿も映し出され、とても新鮮な感動を覚えた。

そんな下地があったので、この作品を見た時、思いもかけないことが目の前で起こっているのにびっくりしたのだ。

ワールドカップは大盛況に終わり、ブラジルにかなりの経済効果をもたらしたはずである。

にも関わらず、スクリーンに登場する少年たちは、ゴミ集めの収益で暮らしているのだ。

これからオリンピックが開催されようとも、このゴミ集めで暮らす孤児たちはリオから消えることがないだろうと確信した。

ある日、一人の少年がゴミ山から、政治家や警察にとっては非常に貴重なものを拾うところから物語が始まる。

その貴重なものを警察に追われながらも、決して屈することなく、逃げ回る3人の少年たち。

オリンピックがあろうとなかろうと、貧しいものは死ぬまで貧しいのであるという、ブラジル国家への憤りをこの3人の少年たちは、「正義」をもって訴えている。

その逃亡の快挙に胸が熱くなったのだ。

1月9日から公開


『サンバ』

2014年12月07日 | 映画

『最強のふたり』に感動した人なら、今回の『サンバ』では、さらに2倍も3倍も感動するはずである。

年末に来て、私の今年のベストワンの作品が登場してくれた。

フランスの移民問題を、かくも優しく、かくもシリアスに、かくもユーモラスに、かくもさわやかに描ききった作品は他にはないだろう!

『最強のふたり』での黒人男優オマール・シーの演技は『サンバ』によって、さらにデリケートにさらにセンシブルにさらにユーモラスにバージョンアップしていた。

主人公サンバことオマール・シーの恋人役になるシャルロット・ゲンズブール。彼女は強度のうつ病を患っているが、サンバに出会うことで、心の痛みが徐々に緩和されていくこのデリケートな変化。

脇に回った俳優陣の12色のパステルカラーのようなカラフルな演技。

「移民問題」を、優しいオブラートで包みながら、そのオブラートの中身がきちんと見えてくるという見事な演出の余韻は、今も、そしていつまでも続くだろう。

12月26日から公開

【監督】エリック・トラダノ  オリヴィエ・ナカシュ

【出演】オマール・シー  シャルロット・ゲンズブール タハール・ラヒミ  イジア・イジュラン


『百円の恋』

2014年10月22日 | 映画

旦那と同い年の私は、今年二人そろって還暦になった。同い年の夫婦ってのは、当たり前だが、同じように年を取るので、旦那が定年を迎えた瞬間、なんだか、自分までも定年になったようで、複雑な心境なのである。

もう人生が終わったかのような寂寞と空しさが、ここ数日、心から離れない。

これじゃいけない!。この空しさを脱却するには映画しかないと、手元にある試写状の中から、ふと目に留まったのが、邦画の「百円の恋」だった。

内容や前評判を全く把握せずに、映画を見るのも一つの醍醐味で、情報がないからこそ、まっさらな状態で作品に向き合うことができる。

目の前に現れた主人公役の安藤サクラの無気力で怠惰な日常が突然目に入る。

髪を振り乱し、ジャージ姿でタバコをふかすしながらテレビゲームばかりやっている安藤サクラは、弁当屋を経営している母や出戻りの姉に激怒され、ついに家を出るはめになる。

あ、この展開はめっちゃ面白いぞ!

今度は食うために深夜の百円コンビニでレジを打つ安藤サクラの姿が目に入る。目が細いので、店長に「目つきが悪い」となじられる。

確かに本当に目つきが悪い。そして恋が始まり、恋が終わる。

単に物語はそれだけなのだが、ここで、画期的なのは、だらしない安藤サクラが、ある日突然、ボクシングに目覚めるのだ。

体を鍛えるために、走り、シャドウボクシングに精進する。どんどん、ぶくぶくに太った安東サクラの体から体脂肪が抜け、見る見るうちにアスリートになっていく。

ボクシング好きの私は、安藤サクラの役作りのたくましさに惚れ惚れするのである。ここまで本気でボクシングに向き合った日本の女優は彼女が初めてではないだろうか?

安藤サクラの作品を見るのがこれが初めてである。

父は奥田瑛二、母は安藤和津。サラブレットの家系の娘である。

少しだけ、この血統に違和感があったが、「百円の恋」の安藤サクラの演技を見て、私はびっくり仰天していた。

「うまい!」

の一言なのである。

何より、還暦鬱になっていた私を安藤サクラは思いっきり元気にしていた。

安藤サクラちゃん、マジ、サンクス!

【監督】武 正晴

【出演】安藤サクラ  新井浩文  稲川実代子  早織  坂田聡  根岸李衣

 

11月15日から山口県内先行ロードショー

12月20日から テアトル新宿ほかロードショー


『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』

2014年09月22日 | 映画

往年のハリウッドビューティ、グレース・ケリーの役を現代の女優が演じるのなら誰がいいのか?

私の心には二人の女優がイメージされた。一人はニコール・キッドマン、そしてもう一人がシャーリーズ・セロンだった。この二大女優が一番、グレース・ケリーに近いと確信していた。

予想は的中した。今回の『グレース・オブ・モナコ』では、ニコール・キッドマンがグレース・ケリーを演じた。

いや、女優グレース・ケリーではなくて、正確に言えば、モナコ公国の公妃となったグレース・ケリーを演じている。

グレース・ケリーと言えば、映画では、『喝采』である。実にシリアスな役をこなし、アカデミー主演女優賞に輝いた。金髪美女好きのアルフレッド・ヒッチコック監督作品の常連でもあり、『裏窓』『ダイヤルMを廻せ』も素晴らしかった。

女優としてのグレース・ケリーの偉業は話すまでもないが、公妃となったグレース・ケリーの偉業が今回の作品で、実に丁寧に描かれていた。

モナコは世界で一番小さな国バチカン市国の次に小さな国である。

しかし、一時、フランス政府から(シャルル・ド・ゴール大統領)から過酷な課税を強いられていた事実の発見に驚きだった。

そして、この窮地を救ったのが公妃グレース・ケリーだった!

映像の中のグレース・ケリー。公妃のグレース・ケリー。

いずれにしても、私はグレース・ケリーが昔から大好きなのである。

10月18日から公開

【監督】オリヴィエ・ダアン

【出演】 ニコール・キッドマン  ティム・ロス


『マルティニークからの祈り』

2014年08月16日 | 映画

これは、韓国の主婦版「ミッドナイト・エクスプレス」だ。

言葉も通じないフランスで、「薬物」輸送の疑いをかけられた主婦が、2年間も投獄され、無実を証明するまでの物語である。

7月にモロッコを旅してきた。初めてのモロッコなので、安全パイの搭乗員同行のツアーにした。現地に詳しい添乗員がいれば、何かにつけて安心で楽だからだ。ただ、自分の思うように時間が作れないリスクはあるのだが、それでも、郷に入れば郷に従へを守ることができる。

海外の旅は机上の論理では、絶対に実現できない。現地には日本人や、この主婦の場合は韓国人であるが、自分の国にはない信じられない法律があることを覚悟して行けという教訓でもある。

「ミッドナイト・エクスプレス」の主人公が、軽い気持ちでトルコにドラックを持ち込み、厳罰に処されるように、自分の国の常識が海外では通用しないのである。

ましてや、この主婦はフランス語どころか、英語すら話せない。

無実を主張しても、まったく相手に理解されない。

言語の壁が重くのしかかる。

これは実話だそうだ。

そして、もしかしたら、誰にでも起こり得ることかもしれない。

海外旅行者に大きな警鐘を鳴らしてくれた作品でもある。

 

8月29日から公開

【監督】パン・ウンジン

【出演】チョン・ドヨン コ・ス カン・ジウ  ペ・ソンウ

『太秦ライムライト』

2014年06月28日 | 映画

船橋南福祉センターの講座で、1963年公開の『13人の刺客』の解説をした。この作品は2010年にも三池崇史監督によってリメイクされている。

オリジナルの『13人の刺客』は、東映の時代劇全盛の作品で、監督・工藤栄一、主演・片岡千恵蔵、里見浩太朗、嵐寛寿郎、内田良平と、蒼々たる俳優陣ばかりである。

実は私は、この作品をリアルタイムで見ている。当時、私の家のすぐそばに、東映専門の映画館「新興館」があって、9歳の私は父に連れられて、チャンバラ映画をよく見ていた。

60年代の日本の映画はほとんど時代劇だったような気がする。時代劇が日本の映画を支えていたと言っても過言でない。

あれから、50年、今回の『太秦ライムライト』は、衰退していく時代劇にスポットを当てている。

主人公は「斬られるために生きる俳優」。福本清三が演じている。これはフィクションであるのだが、実際の福本清三も15歳で東映の時代劇専属となり、「斬られ役」専門の俳優である。

彼の凄さを知ったのは、トム・クルーズ主演のアメリカ映画「ラストサムライ」だった。殺陣の実力を買われての大抜擢だった。これで、福本さんの知名度は抜群に上がった。

しかし、今の日本には時代劇の必要性がなくなっている。それによって、主人公のような「斬られ役」の出番は全くなくなっているのが現実である。

出演する映画が減れば、収入が減る。よって、この主人公は東映の太秦の撮影所で、観光客相手に殺陣を見せて、なんとか生計を立てている。

妻に先立たれ、時代劇でしか自分の存在を披露できない初老の「斬られ役者」の虚空感を、福本三郎は寡黙に冷静に演じていた。

時代劇の活気が戻ってくることはないかもしれない。しかし、それを嘆いていてばかりでは始まらない。

本作の中に、新人監督が時のアイドルを使い、CGだけでイージーに時代劇を撮っているシーンが挿入されている。

この軽薄さは、日本の時代劇を支えてきた俳優陣の心の嘆きを表わしているようで、溜飲が下がった。

7月12日(土)から公開

【監督】落合 賢 

【出演】福本清三  山本千尋  本田博太郎 松方弘樹、萬田久子、栗塚 旭


『her/ 世界でひとつの彼女』

2014年05月22日 | 映画

もはや、人間の苦悩や孤独感を救うことができるのは人間でなく、AI(人工知能)になってしまったのか?

ホアキン・フェニックス演じる主人公セオドアは、長年連れ添った妻と別れ、孤独な傷心生活を送っていた。そんな主人公の心の慰めとなったのが、人工知能の女・サマンサ。コンピューターや携帯から連日届く彼女の声に、主人公はどんどん引き付けられ、恋が芽生えてしまう。

ごちゃごちゃ、屁理屈をこねなければ、この作品は人間の男と人工知能女性の立派なラブストーリーである。

しかし、本当にラブストーリーだけですますことができるのであろうか?

試写を見終わった後、私は複雑な気持ちになった。

帰宅するために、日比谷線に乗ると、主人公セオドアと同じようにスマホの操作をしている乗客ばかりであった。人のことは言えない。この私もしっかり、スマホでメールや着信のチェックをしている。

車内の乗客は私含め、ほとんどの人が今見たばかりの主人公「セオドア」だらけだった。

こんな光景は少なくとも、10年前にはなかった。

夕刻の車内では、サラリーマンは「日刊ゲンダイ」や「夕刊フジ」を読み、若い人はウォークマンで音楽を聴き、後の人は寝てるかボーっとしているかだった。

その光景が懐かしいとは思えないが、今や人間は新しい機械を産み出し、それに耽溺して、それを無くしては生きていけなくなってしまった。

人間の孤独感は、本来人間同士で癒したり、心を埋めてやるべきなのに、その役割を機械が果たしてしまうまで進歩してしまった。

これはある意味では実に怖い映画なのである。

こんな時代がやってくるのは目前であるからこそ、なおさら怖い。

そんな警鐘を鳴らしていたのがスタンリー・キューブリック監督の傑作『2001年宇宙の旅』であった。キューブリック監督は、未来はコンピューターが人間を支配すると今から50年前に予告した。未来の宇宙船と人間を支配したのが、コンピューター「ハル」であった。

『her 世界でひとつの彼女』を見た後、私は『2001年宇宙の旅』を思い出していた。

6月28日から公開

【監督】スパイク・ジョーンズ

【出演】フォアキンン・フェニックス  エイミー・アダムス  スカーレット・ヨハンソン(人工知能の声)