マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

『それでも夜は明ける』『ブルージャスミン』

2014年03月07日 | 映画

アカデミー賞には懐疑的な私であるが、それでも世界最高峰の映画の祭典であることには間違いがないので、ノミニーされた作品はなるべく見るようにしている。

『それでも夜は明ける』の試写を見た時、私は絶対にこの作品がアカデミー作品賞を取ると思った。奴隷問題、差別問題という社会的なエッセンスが込められていて、スティーブ・マックイーン監督(あの大スターと同じ名前なのでびっくり)が自らがブラックパーソンであったからだ。

対抗となる「ネブラスカ」「ゼロ・グラビティ」「ダラスバイヤーズクラブ」よりもはるかに社会性があり、映画のクオリティそのものも実に優れていた。そして、この作品は、黒人初の監督の作品賞ということで、アカデミーに新鮮でリベラルな空気を吹き込んでいた。

やや、不満を言えば、『それでも夜は明ける』という邦題である。原題の『12yeras A slave 』のままの方が、この作品の真意を表していたような気がした。

3月7日から公開

 

もう一作が『ブルー・ジャスミン』である。ウディ・アレン監督の最新作で、主演はケイト・ブランシェット。ケイトはアカデミー主演女優賞にノミニーされていた。

で、またも私の予想は見事に的中した。ケイトはこの作品で絶対に主演賞を取ると思った。ノミニーされた他の女優の面々とは大幅に一線を画し、ものすごい迫力の演技で、その強烈な余韻を今でも残している。

裕福なセレブ生活を送っていたケイトことジャスミンは、ある日突然、夫も全財産も失い、文無しで、ド平民の妹の家に転がりこむのだ。

華やかな生活から一気にドブネズミのような生活環境を強いられるジャスミンは、どんどんと精神を病んでいく。こういった物語は多分誰もが好きなはずだ。人は人の不幸が大好きであるという、私の歪んだ見解に賛同してくれる人ならば。

ケイトは「大金持ちの見栄っ張りの女なら。落ちぶれた時には誰もがこうなるであろう」という変化を、視聴者の思い通りに演じていくのだ。

ぼそぼそと独り言で過去の栄光を語る哀れなケイトの姿に、人は何を思うか?

憐憫の情?

いい気味だわ?

落ちぶれた女って醜い?

でも、ここまで来るとかわいそうじゃない?

見た後に、こんな感想が飛び交うであろう。ただし、これは女性に限ってである。

ウディ・アレン監督の近年の作品では、私は最高傑作の一本だとも思った。

とにかくケイト・ブランシェットの演技を見ないと損をするはずである。

5月10日から公開

 


『愛の渦』

2014年02月20日 | 映画

 

 

「男2万円、女千円、カップル5千円 乱交パーティ」

こんなキャッチコピーの『愛の渦』試写状が届いた時、ちょっとだけドン引きしていた。今年で還暦になる干上がったおばさんには、はるか彼方の昔の出来事(あ、乱交パーティには出たことがないが)のような感じがして、最近セックスへの欲望が萎えている自分は、この作品をきちんと正視できるか不安だった。

しかし、男2万円、女千円、カップル5千円が、なんだかいつまでたっても頭から離れず、いや、こりゃー見ろ!ということだと思い、試写室に出かけた。

オープニングからラストまで、ほとんど乱交パーティシーンだけと言っても過言ではない。見ず知らずの赤の他人の男女が組み合わせを変えて、とっかえひっかえ絡み合う。

正常位、騎乗位、アナル、フェラ、もう何でもありなのである。

ややもすると、エログロナンセンスな展開になるかも知れないのに、各シークエンスのこのピュアな清涼感はいったいどこからきているのかと、感心していた。

そこには、ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストタンゴインパリ」が見えたり、パゾリーニの「デカメロン」が見え隠れしたりで、崇高な文学作品に仕上がっていたのだ。

音楽も映像も実に洗練されている。何よりも、岸田國士戯曲賞を受賞した劇作家・三浦大輔初監督の脚本には鳥肌がたっていた。

人間の性欲のリアルさ、切なさ、哀愁、見事に描き出していた。

乱交パーティに出席するフリーターを演じた池松壮介亮君、女子大生を演じた門脇麦ちゃんの体当たりの演技は、性に対するアグレッシブな姿勢や本気度を強烈に表現してくれ、早くも今年見た邦画では最高の一本になってくれた。

3月1日から公開

【監督】三浦大輔

【出演】池松壮亮 門脇麦 滝藤賢一 新井浩文 柄本時生 窪塚洋介

 

 


『さよなら、アドルフ』

2013年12月31日 | 映画

 

 

年末に、安倍総理が靖国神社を参拝したことで、中国や韓国から手厳しい批判を受けている。

安倍さんが、どんなに靖国参拝を正当化したところで、戦犯を祭ってある以上、中国や韓国にとって、侵略され大虐殺をした張本人を崇めているとしか思えないのではないだろうか。

この一件で、安倍さんは外交が下手くそ、うまく演出ができない不器用ものだと、世界に発信してしまった。

さて、私は2014年1月11日から公開される『さよなら、アドルフ』と、この問題がどこかでリンクするのではないかと、思った。

第2次世界対戦直後のドイツが舞台。ナチスの高官だった子供たちが辿る運命をリアルに描いていた。ヒットラー政権によって、苦しめられたユダヤ人の運命は語るに尽くしえない。

しかし、加害者であったナチスの高官の子供たちも、敗戦すれば戦犯の子供として、虐待されて生き続けるしかなかった。

ナチス高官の子供たちが、逃亡の最中にユダヤ人男性と出会い、助けてもらう。ヒトラー政権下で、ユダヤ人を人間とも思っていなかった14歳になる長女が、ナチスが犯したユダヤ人への迫害と殺戮の罪の重さに目覚めた瞬間、この作品は、強烈な反戦映画に姿を変えていく。

今までにないアプローチである。

戦争には加害者も被害者もない。戦争そのものが愚かな加害者なのだと痛感する。

ということで、今回の安倍さんの靖国参拝は、現ドイツの首相、メルケルさんが、ヒトラーのお墓参りをしたみたいな感じなのではないかと思った。

諸外国は、安倍さんが戦争を美化しいるとしか思わないだろう。

2014年1月11日から公開

 監督  ケイト・ショートランド

【出演】 サルキア・ローゼンタール
      カイ・マリーナ
      ネレ・トゥレーブス

『母の身終い』

2013年11月08日 | 映画

来年、還暦になる。つまり60歳になるのだ。そのせいとは言えないが、最近、「死」をかなり意識してきた。

日本の女の平均寿命は88歳というが、私はそこまで欲張らなくてもせめて80歳でいいかなと思っている。いや、これは理想であって、もう少し早まるかもしれない。

とすると、あと、私の寿命は20年ということになる。

「MerryXmas &happy New year」を言えるのも、あと20回だと思うと、なんだか、急になんに対してもストイックになってきた。

今までムカついていた奴にもムカつかなくなり、人よりも一歩抜け出したいという野心も失せ、何事に対しても頭に来ることがなくなっている。

まるで性欲を封じられた去勢馬のような感じなのだ。

だからと言って、空しいとか寂しいとかいうセンチメンタリズムもなく、「ただ一人、毎日楽しく、面白く生きていれば、ま、いいっか」的な人になってしまった。無駄な喜怒哀楽のエネルギーを使うのがばかばかしくなってきたのだ。

ジムで筋トレ、有酸素運動やり、大好きなヒップホップダンス踊り、いい汗かいて、お風呂に入ってビールを飲む毎日がたまらなく楽しいのだ。その合間に原稿書いたり、講演したりで、本当に充実しているのだ。

今はこれでいい。これ以外の何も望まない。

しかしだ。『母の身終い』の主人公の老婆のように寿命前に、不治の病を患ってしまったら、それこそこんな充実した日々が一転してしまう。

日本は高齢化社会ではあるが、ある意味において安楽死、尊厳死に対しては消極的な国だと思う。

しかし、スイスには「幇助自殺協会」というシステムがあり、利己的な動機以外の自殺を望む人を幇助することが許されている。

この発見には驚いた。

脳腫瘍の末期を宣告されたエレーヌ・ヴァンサン演じる老婆は、スイスに渡り、この方法を選び死を迎える。死ぬ瞬間まで、医療つけになり苦しみ痛むのなら、その前のまだ元気なうちに逝ってしまいたいという人間としての美学と矜持を保ちながらである。

「さて、もし、私がそうなった時、どうするのだろうか?」

この作品を見た人なら、誰もが自問自答することだろう。

11月30日から公開

【監督】ステファヌ・ブリゼ

【出演】エレーヌ・ヴァンサン  ヴァンサン・ランドン


『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

2013年10月25日 | 映画

一番最初に見た吸血鬼の映画はイギリスハマーフィルムの「吸血鬼ドラキュラ」だった。なんと、今から50年以上も前の5歳のころ、地元の名画館で見た。

5歳の女の子にとって、クリストファー・リー演じるドラキュラは刺激が強すぎた。子供は怖いことは大嫌いなのだが、怖いもの見たさという強い好奇心もある。スクリーンの中で、ドラキュラが美女の首筋からドクドクと血を吸うシーンでは、怖くておしっこを漏らしていた。

それから、たくさんの吸血鬼の映画を見た。ハマーフィルムの怪奇映画が私をホラー好きの女の子に変えてしまったのだろうか。

特に印象に残る作品を思い出している。

『処女の生血』(1974)は面白かった。ポール・モリセイ監督で吸血鬼役が個性的なウド・キア。おかしかったのは、この吸血鬼は処女の女の子の血でしか生きられないというところだ。しかし、この時代の女の子はみんな男を知っていて、処女が少なくて困ったという点である。女の貞操観念の価値が時代とともに薄れていることを、吸血鬼が嘆いているというのも、実にコミカルで面白かった。

この『処女の生血』 と、どこか同じ香りを放つのがジム・ジャームッシュ監督の最新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』である。

舞台が、荒廃した車の町デトロイトであるのも興味深い。今や、アメリカのデトロイトは崩壊し、住む人が少なくなった荒廃した町である。アメリカの自動車産業の中心で栄えたあのデトロイトの凋落ぶりにスポットを当てたジャームッシュ監督の発想に脱帽した。

そして、そこに住むのが吸血鬼のカップルというのも、ありそうな話である。荒廃した町の風景をジャームッシュ監督は抒情的に映し出している。

『処女の生血』では、処女の純粋な血が無くなっている点に焦点を置いたが、今回の『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』で、ジャンクフードで体を汚染された人間の血は、コレステロールや脂質に溢れ、吸血鬼たちにはまずくて飲めなくなってしまったというところが面白い。 

寂れたデトロイトの町を、汚染されていない健康な人間の血を求めて徘徊する吸血鬼カップルを見ていると、哀れにさえなってくる。

この作品が、ある種の文明批判だと、じんわりとわかってくるのである。

吸血鬼さえ、まずくて吸えなくなってしまった現代人の血。

困ったものである。

12月公開

【監督】ジム・ジャームッシュ

【出演】トム・ヒドルストン   ティルダ・スウィントン  ミア・ワシコウスカ


『マリリン・モンロー 瞳の中の秘密』

2013年09月27日 | 映画

 

 

福祉センターで映画の講座を持っている私は、「昭和のシネマを飾った女優」というテーマで、マリリン・モンローとオードリー・ヘップバーンについて講義した。

この伝説的な二大女優こそ、まさに、昭和のシネマを飾った女優にふさわしいからである。

「マリリン・モンローとオードリー・ヘップバーンのどちらがお好き?」と、生徒さんに質問すると、女性たちは声をそろえてオードリー・ヘップバーンと答える。一方、マリリン・モンローと答えるのはほとんどが男性であった。

ヘップバーンは女に愛され、モンローは男に愛される。ヘップバーンの純真無垢な美しさとかわいらしさに女性の憧れ、肉感的なセックスシンボルのモンローに男は興奮するのだ。

さて、女の私はどちらが好きかと言えば、実はマリリン・モンローなのだ。

もちろん、ヘップバーンの可憐さや美しさはこの世のものとは思えない。しかし、ヘップバーンには、なぜか、日常の香りがしてこないのだ。言葉を変えれば、人間臭さがないのだ。

一方のモンローは女優と言う前に、一人の女であるという生臭い人間臭さに満ち溢れている。女優モンローの存在は、そのまま、一人の女モンローと一致する。仕事と日常がゴッチャになって生きたモンローが、無性に愛しいのだ。

そういった観点から作られたのが『マリリン・モンロー 瞳の中の秘密』である。

死後50年を経て公開されたモンロー直筆のメモや日記をもとに、ユマ・サーマン、グレン・グローズ、マリサ・トメイなどのひと癖もふた癖もある女優たちが、モンローの日記を朗読する。

1962年、36歳の若さで突然亡くなったモンローの死には、時空を超えた現代でも、疑問や不審点に満ち溢れている。

ヘップバーンが社会貢献をして、美しい死で人生の幕を閉じたにも関わらず、相変わらずモンローはスキャンダルの女王として君臨している。

モンローの人生そのものが、まるで作り物の映画ではなかったのではないか、という余韻さえ残している。

華奢で繊細なモンローが悲痛に語る肉声を聞いた時、私はスクリーンの中に飛び込み、モンローを強く抱きしめてあげたくなった。

モンローが好きな女たちは男っぽいということなのか。

10月5日から公開

【監督】リズ・ガルバス

【出演】マリリン・モンロー  グレン・グローズ  ユマ・サーマン マリサ・トメイ

 

 


『許されざる者』

2013年09月04日 | 映画

『許されざる者』

熟年世代の誰もが、このタイトルで思い出すのが、クリント・イーストウッド監督主演の『許されざる者』(1992)『Unforgiven』だろう。

日本でそれをリメイクする?いったいどんな話になるのだろうか?イーストウッド監督はアメリカ西部劇の極意を描いた。日本では、どの時代を舞台にして、どんな人間を主役にするのだろうか?

あまりにも崇高な作品のリメイクは危険な企みである。例を上げるなら、「華麗なる賭け」「太陽がいっぱい」という名作をリメイクしたが、悲しいかなオリジナルを超えることができなかった。『華麗なる賭け』では、スティーブ・マックイーンに勝る俳優はいない。そして、『太陽がいっぱい』では、誰がアラン・ドロンを抜くことができようか!

そのくらい『許されざる者』では、クリント・イーストウッド、モーガン・フリーマン、ジーン・ハックマンの存在感が強い。

しかし。

さすがに、世界のケン・ワタナベ。見事にクリント・イーストウッドを演じてくれました。悪役保安官になったジーン・ハックマンを佐藤浩市が見事に演じてくれました。イーストウッドの竹馬の友モーガン・フリーマンを柄本明が見事に演じてくれました。

時代設定が明治維新の北海道というのも違和感がなく、維新の影に隠れたアイヌ問題にメスを入れ、女郎たちの運命の悲しさを鮮明に描き、私は、アメリカ版よりも優れているのではないかと思った。

『フラガール』『悪人』という名作を撮った李相日監督。39歳という若さで、イーストウッド監督の哲学を見事に踏襲し、李相日版オリジナルの斬新な『許されざる者』を作り上げてくれた。

9月13日から公開

【監督】李相日

【出演】渡辺 謙  佐藤浩市 柄本明 柳楽優弥 小池栄子

 


『ペーパーボーイ 真夏の引力』

2013年07月21日 | 映画

 

 

私は何事に対しても徹底的にやる人間が大好きだ。

仕事でも遊びでも趣味でも徹底的にやるということは、人生を徹底的に必要十分に妥協を許さず生きている証だと思っている。

今回の『ペーパーボーイ 真夏の引力』の出演者である、ザック・エフロン、ニコール・キッドマン、マシュー・マコノヒー、ジョン・キューザックがまさにそれである。

この4人の俳優陣が恥も外聞もなく、徹底的に役になりきった稀有な作品だと、感心していた。

1969年のフロリダが舞台。人生に挫折した主人公ザック・エフロンは父親が経営する地元の小さな新聞社で新聞配達をしている。

まずは、地元の小さな新聞社が舞台になっている点も目新しかった。

そこに、大手新聞社に勤める兄が帰省し、4年前の殺人事件を再調査するために留まる。

ここから、一気にストーリーはシュールで残虐で、ある意味では「エグイ!」展開になるのだ。

事件にかかわる謎の女、ニコール・キッドマンと殺人犯、ジョン・キューザックが登場すると、この作品は「エグイ!」からさらに躍進して、「エログロ+残虐」いわば、「エロス+虐殺」の世界に更新するのだ。

このあたりが、実に徹底的で、徹底的な人が大好きな私はため息がでたのだ。

時々、目を背けたくなるシーンは多々。でも、不思議と目を背けたくなくなる、この矛盾。

何より、ニコール・キッドマンが股間のパンストを破り、よがる姿を見た途端である。

この女優は徹底的マックスの女優なんだと、尊敬したのだ。

 

7月27日から公開

【監督】リー・ダニエルズ

【出演】ザック・エフロン ニコール・キッドマン、マシュー・マコノヒー ジョン・キューザック


『31年目の夫婦げんか』

2013年07月01日 | 映画

同世代の私にとっては、痛い話だ。

31年間も夫婦やっていれば、喧嘩は日常茶飯事。お互いを男や女なんて意識する日なんて皆無である。

綾小路きみまろさんの語録の中にこんなフレーズがある

「家に帰れば、有効期限の切れた亭主と、賞味期限の切れた女房がにらみ合う。」

まさにその通り。天才的な名言だ。

さてさて、そうは言っても、死ぬまで連れ添うのが夫婦。

いかに賞味期限キレとは言っても夫婦は夫婦。

メリル・ストリープ演じる妻はこのマンネリを脱却しようと、とんでもない夫婦セラピーを受けることを決意する。

頑固で亭主関白の夫役がトミー・リー・ジョーンズ。

とんでもない妻の計画に、しぶしぶついていくのだ。

キーワードは「倦怠期を迎えた夫婦のセックス」である。

若いころ、あれほどときめいた夫婦のセックスも、今じゃ、皆無。別々の寝室で本を読みながら寝入る毎日。

熟年夫婦にとって、失われた時間を取り戻す最大の効果薬はズバリ「セックス」

高齢化社会にむけて避けては通れない夫婦の真実を実にうまく描いている。この斬新で新鮮なタッチの作品の夫婦を演じるのが、メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズ。

この二大演技派の文句なしのキャスティングに唸りっぱなし。

セラピストの指導の下で挑む未完のセックスシーンはあまりにも滑稽で、大爆笑してしまう。

しかし!!その笑いがいつしか同病相哀れむの憐憫の情に変わっていくのだから、お見事!

7月26日から公開

【監督】デヴィット・フランケル

【出演】メリル・ストリープ  トミー・リー・ジョーンズ


『華麗なるギャツビー』

2013年06月09日 | 映画

 

 

ロバート・レッドフォードからレオナルド・ディカプリオへのバトンタッチ。

すごくいい人選だ。

ミステリアスで哀愁のあるギャツビー役は、よーく考えてみれば、70年代なら、ロバート・レッドフォード。そして、2010年代ならレオナルド・ディカプリオしかいない。

確かにだ。

新「華麗なるギャツビー」は、レオ様にやってもらったことで、この作品はすでに、80%は成功している。

そこに最先端の3Dという映像効果。

まさか、ギャツビーが3Dで蘇るとは!!!

70年代の『華麗なるギャツビー』をリアルタイムで見た時、まさか、こんな時代がやってくるとは、想像だにしなかった。

ここ30年もの間、映画だけでなく、世界のあらゆる技術が進歩している。

そんな横溢する文明の中で、『華麗なるギャツビー』の進化こそ、私にとって、最大のカルチャーショックだった。

3Dで蘇ったF・スコット・フィッツジェラルドの世界は、バズ・ラーマン監督の華麗なる映像とディカプリオの名演技で、さらに豪華にさらにGREATになったことには間違いはない。

レッドフォードVSディカプリオ。

ロバート・レッドフォードファンの私だが、今回だけは、レオ様に軍配を上げたくなった。

6月14日から公開

【監督】バズ・ラーマン

【出演】レオナルド・ディカプリオ  トビー・マグワイア  キャリー・マリガン


『エンド・オブ・ホワイトハウス』

2013年05月29日 | 映画

「CIA」「FBI」「テロリズム」と、アメリカ側から撮ったアクション・エンタティメント作品は、毎年、たくさん公開されるけど、あんまり見る気になれないのは年のせいかもしれない。

でっかい音でドンパチやるシーンにいささか食傷気味なのかもしれない。

現に、今年のアカデミー賞作品賞受賞した、ベン・アフレック監督主演の『アルゴ』なんか、どこが面白いの理解できなかった。

だから、こういった種類の映画を見る時は、半ば諦念、時間があって心がゆとりのある時しか見ないようにしている。

そんなシニカルな気持ちで見たのが『エンド・オブ・ホワイトハウス』だった。

だが、しかしである。見始めると、これはめっけもん、最高の掘り出し物だと思った。

大統領一家が移動中の車の中で事故が起きるオープニングシーンから、乗せる、乗せる、素晴らしく乗せてくれるたのだ。

ある意味では、初代の『ダイハード』に出会った瞬間に類似している。

北朝鮮のテロリストが「ホワイトハウス」をぶっ壊すまでの息を呑むような展開。

アメリカを訪問していた韓国の首相までも殺してしまう暴走とあらっ削りな展開。

アメリカ大統領が人質にされるという前代未聞の展開。

何よりも、ただ一人、ホワイトハウスに侵入し、果敢にもテロリストから大統領を救い出す、ジェラルド・バトラー演じる元大統領専任のシークレットサービスのタフネス。

なぜにこれだけの臨場感や高揚感を与えてくれるのか?

考えてみた。

一つは監督の力。もう一つはシナリオの力なのである。

『トレーニングディ』の監督アントワーン・フークアの力。シナリオのクレイトン・ローゼンバーガー&ケイトリン・ベネディクトの力なのである。

怖いもん知らずの還暦間近の変わりもんのオババの心をここまで鷲づかみにし、乗せてくれたこの二人に乾杯!

6月8日から公開

【監督】アントワーン・フークア

【出演】ジェラルド・バトラー  アーロン・エッカート モーガン・フリーマン


『イノセント・ガーデン』

2013年05月17日 | 映画

 

 

映画の教養講座のために、心に残る新旧作品をもう一度見たり、調べたりしているうちに、映画はやっぱり凄いもんだと、改めて感動している。

「温故知新」、まさに古い映画をたずねて新しい映画の素晴らしさも教わるわけだ。

そんな意味から、5月31日公開の『イノセント・ガーデン』は、37年前のブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』(1976)のホラーと一昨年、ナタリー・ポートマンにオスカーを与えた妄想、パラノイアのバレリーナ物語「ブラックスワン」を彷彿させた。

『イノセント・ガーデン』の監督は、韓国のパク・チュヌク。あの『オールドボーイ』の鬼才。そこにハリウッドのリドリー・スコット、故トニー・スコット(なんで自殺しちゃったんだろう?寂しい)が絡んでいるから、韓国とハリウッドテイストが絶妙に混ざり合い、かなりエキセントリックでかなり洗練されたサイコミステリーが誕生したのかもしれない。

丘の上の豪邸に住むふ少女役を若手のミア・ワシコウスカ、その母役が二コール・キッドマン。

この豪邸の中で日々起こる不気味な出来事。ホラーというジャンルでくくると、ホラーアレルギーの人は見たくないかもしれないが、この作品は、人間の犯罪心理の探求と、それを背負ってしまった少女の悲しい性を描いている。

何より、新星、ミア・ワシコウスカの卓越した演技は、御大ニコール・キッドマンを食う勢い。

ただただ、驚嘆!!!

 5月31日から公開

【監督】パク・チュヌク

【出演】ミア・ワシコウスカ  ニコール・キッドマン


『ひまわり』

2013年03月14日 | 映画

 

月に2回、地元の福祉センターで映画解説をして、早3年がたってしまった。

邦画、洋画と交互に解説している。最近作で、一番感動を与えてくれたのがビットリオ・デ・シーか監督の「ひまわり」(1970)だった。

リアルタイムで見たのが中学1年生の時。戦争に巻き込まれる夫婦の姿、その悲しみが、幼かった私には衝撃的だった。

戦争の愚かさを初めて教えてくれた作品でもあった。ソフィア・ローレンが、行方不明になった夫を捜し、ソ連のひまわり畑に佇むシーン。

その夫となるマルチェロ・マストロヤンニには現地の妻がいたという悲劇。

ヘンリー・マンシーニの不朽の名曲が悲しく流れ、まるで映画音楽に奇跡が起こったように、ストーリーに溶け込んくる。

サウンドトラックを聴いているだけで、映画のシーンが思い出され、涙が溢れる。

こんな素晴らしい作品に出会うのは一生に1度と言っても過言ではない。

執筆と違って、解説という仕事は自分のありったけの言葉を駆使して、観客に訴える。

まるで、ライブハウスのような乗りで、観客が私の肉声に反応するまさにその瞬間、活字では味わうことのできない快感が体を走る。

これもまた、映画の感動を伝える手段としては重要なエッセンスだと、実感している。

さて、来週は、どんな作品のリクエストがあるのか…。


『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』

2013年01月19日 | 映画

 

試写の案内を見たとき、「シンドバッドの冒険」みたいな少年の冒険物かなと思い、あんまり重要視してなかった。

しかし、原作がイギリス文学界の「ブッカー賞」受賞。そして、監督がアン・リーということで、なんとなく気になってしょうがなかった。

ダメもとでもいいから見てみようと時間を作った。

軽視していたもの、期待してなかった作品が、思わぬ方向に流れを変え、ドンドンと心の中に浸透し始めて、暗闇の中で異常なくらいのオーラを発し、心を鷲づかみにされる。

見てよかった!こんな小気味いい、すごくイイ感じになれる作品は数少ない。

この反対のことならば多々ある。期待に胸を躍らせて見ても、見始めた瞬間から、気分が撃沈して、どっと憂鬱になってしまう作品の方が多いからだ。

だからこそ、映画は見てみないとわからない。

机上の論理だけで判断すると、とんでもない損をしてしまう。

話は実にシンプルだ。

主人公のパイは嵐に襲われ、ただ一人生き残った。救命ボートで一人で難を逃れるはずだったが、そのボートには一頭の巨大なトラが乗っていた。トラと共闘、共存しながら、227日間も大海を漂流するのだ。

しかし、『ライフ・オブ・パイ』が、他の冒険物と違っている点は、その漂流記の中に、人間と動物が偶像化され、ややもすると、トラが人間の心と知力を試すために登場した神のように見えるのである。

アン・リー監督だからこそ撮ることができる最大のカメラワークで、見たことも無いような幻想的なシーンが目の前に広がる。

映像があたかも一冊の哲学書のように見えてくる感動。

ラストに至っては、芳醇な文学の香りが漂い、未だにその余韻に浸っている。

 

1月25日から公開

【監督】アン・リー

【出演】スラージ・シャルマ  ジェラール・ドパルデュー

 

 


『東京家族』

2013年01月05日 | 映画

小津安二郎の『東京物語』をリメイクするのなら、山田洋次監督以外に誰がいようか!

小津監督に出会ってから、いつもそう思っていた。

船橋福祉センターで映画解説をしている私は去年の秋、小津の『東京物語』を上映した。福祉センターに来る人は、映画マニアもいれば、まったく映画に知識のない人もいる。小津に精通している人もいれば、小津作品を初めて目にする人が混合していた。

私はとりわけ、小津に精通していない観客の感想を上映後に聞いてみた。

「老夫婦が東京で立派にやっている子供たちに会いに来る瞬間から、もう、映画の中に引き込まれてしまい、目を食い入るようにして見ました。素晴らしい作品です!そして、家族って何かを考えさせてくれる深い映画でした。小津安二郎監督っていつもこういう作品を作っていたんですね」

だった。

小津作品に初めて出会う人は、私を含め、みんなこんな素直な感動の言葉を述べる。

だからこそ、去年、英国映画協会で世界の映画監督が選ぶ最も優れた作品のナンバーワンになったのだろう。なんと、英国地元のスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を2着に抑えてのナンバーワンだった。

小津監督の作品がかくも偉大であるという証明の一部分になったのだ。

山田洋次監督が松竹の先輩、小津安二郎の『東京物語』を小津に捧げるという趣旨で『東京家族』を撮ると決めた瞬間、もう一昨年になってしったが、東日本大震災が起こった。

クランクイン間近だった山田監督は、日本の歴史に最大の悲劇を残した未曾有の大災害とそこから派生した人災ともなる原発事故を語らずして、映画は成り立たないということで、クランクインを一年延ばした。

私は、山田監督の姿勢を尊敬し、なおさら、リメイク版が楽しみになっていた。

でも、キャスティングが発表された時、ちょっとだけ不満だった。

あのおっとりしているが、ちょっとだけ頑固であった父親の笠置衆の役が橋爪功、ほっこりとしたマシュマロのようなふくよかな母親の東山千栄子の役が吉行和子。

ちょっと、ミスキャストかな…と、思った。

でも、しかしである。これは大逆転した。

小津が戦後の日本の家族を描ききったように、山田監督は『東京家族』で橋爪、吉行老夫婦の存在を通して、不安定で無気力になってしまった日本、そして震災後に味わった日本人の将来への不安や恐れを十分に付け加え、現代の日本の家族像を見事に抉り出してくれたのだ。

橋爪功、吉行和子も素晴らしいが、プータローを演じる妻夫木聡の演技は、小津作品に登場しなかった新種の調味料を存分に加え、そのデリケートな味に、私は茫然自失したのだった。

家族はウザい!しかし、かくも家族ほど素晴らしいものはない!

こんなシンプルなことなのに、私は心のどこかに置き忘れていたのかもしれない。

1月19日から公開

【監督】山田洋次

【出演】橋爪功  吉行和子 妻夫木聡 蒼井優 中嶋朋子 西村雅彦