「バベル」の試写を見たのが、2月1日だった。ギャガコミュニケーションの試写室が連日満員という噂は聞いていた。確かに私が行った日も満員だったが、なんとお隣にある20世紀フォックスの試写室を借りての、異例の拡大試写となった。ギャガとフォックスは本来は商売敵のはずなのに、この歩み寄りと連携プレーに感心し、心が温まった。映画を愛する気持ちはどこも一緒なのかも知れない。
試写をかなり早く見てしまうと、公開時になると印象が薄れてしまうので、なるべく感想はメモするようにしている。
「バベル」は、モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本を舞台に、それぞれの国で起こる事件が最後に一つに結びつくといったタッチの映画である。これと似たタイプの映画では「レッドバイオリン」や「クラッシュ」が記憶に新しい。
「バベル」は映画のそのものよりも、アカデミー助演女優賞にノミネートされた菊池凛子の人気がブレイクして、この映画を日本全国に広めた感がある。とりわけ、菊池凛子は心がすさんだ聾唖の女子高生役をオールヌードという体当たりの演技をぶつけて、アカデミー会員を驚嘆させたのであろう。
しかし、私は菊池凛子の演技は悪くはないが、それほど凄いとも思えなかった。以前、「チャーリーとチョコレート工場」でティム・バートン監督とジョニー・デップが来日した時、この映画に登場する子供たちの中で、一番難しい役が主人公の少年チャーリーだと言っていた。他の子役たちは姿形がデブだったり、内面が性悪、我儘、高慢と強烈な個性を持っているから、かえって演じやすいとのことだった。それに引き替え、チャーリーはどこにでもいる普通の少年だったので、無個性がゆえに演じるのが難しいそうだ。納得である。
で、ここで菊池凛子に話を戻すと、菊池凛子は聾唖の役である。障害者の役は一見難しいようで、実は私は簡単であると思っている。徹底的に訓練すれば、ある程度の演技力や表現力は出せるのではないだろうか。
とは言え、世界のアカデミー賞に日本の女優が「サヨナラ」のナンシー梅木以来なかったノミネートを手に入れ、その存在のデカさを世界中に広めたのだから、やはり菊池凛子ちゃんの功績は偉大である。
さて、映画そのものに話を戻すと、モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本と話が流れていくのだが、私は妙な発見をした。この映画はまるで計算されたように、いえ、偶然そうなったのか分からないが、この国々の流れの順番通りに優れ、より強烈な印象を残している点である。
つまり、この映画で私が一番感動した国は最初のモロッコだった。家庭内の不幸な出来事がきっかけに歯車が狂い、愛情が冷めてしまった夫婦(ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット)が心の痛手を癒すためにモロッコを旅する。そこで妻が何者かに銃で撃たれ、瀕死の重態に陥るのである。
今まで、私は映像の中でたくさんの夫婦愛の美しい物語を見せてもらった。しかし、今回の「バベル」のこのブラッド・ピッドとケイト・ブランシェットの夫婦愛のシーンの素晴らしさは映画史上に残るのではないだろうか。
言ってしまっていいのか、いや、言ってしまおう。良心的なモロッコ人の家に保護されたケイトが、突然尿意をもよおす。動けない体だからパンツに漏らしてしまえばいいのだが、やはり女性であるがゆえに最大の屈辱である。それを彼女は夫に恥ずかしそうに打ち明けるのだ。
すると、夫のブラッド・ピッドはさり気なく、ケイトのために、側にあった洗面器を彼女の下半身にあて、おしっこの始末を手伝うのである。
夫婦はこれを機会に心が融合し、お互いが抱えたトラウマから解放されていくのである。汚い部分、恥部に触れ合うことができることこそ夫婦の究極の愛の証なのである。これは長年共に生活をしてきた夫婦だからこそできることなのである。どんなに熱々の恋人同士でも、きっとこの部分だけは成立しないだろう。こんなリアルな夫婦の純粋極まりない愛の営みを描いた映画が他にあろうか。
ゆえに「バベル」はこのシーンを見るだけでも、非常に価値のある作品になり得たのである。
原題 BABEL
製作年度 2006年
上映時間 143分
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演 ブラッド・ピット 、ケイト・ブランシェット 、ガエル・ガルシア・ベルナル 、役所広司 、菊地凛子 、二階堂智
配給 ギャガコミュニケーション
試写をかなり早く見てしまうと、公開時になると印象が薄れてしまうので、なるべく感想はメモするようにしている。
「バベル」は、モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本を舞台に、それぞれの国で起こる事件が最後に一つに結びつくといったタッチの映画である。これと似たタイプの映画では「レッドバイオリン」や「クラッシュ」が記憶に新しい。
「バベル」は映画のそのものよりも、アカデミー助演女優賞にノミネートされた菊池凛子の人気がブレイクして、この映画を日本全国に広めた感がある。とりわけ、菊池凛子は心がすさんだ聾唖の女子高生役をオールヌードという体当たりの演技をぶつけて、アカデミー会員を驚嘆させたのであろう。
しかし、私は菊池凛子の演技は悪くはないが、それほど凄いとも思えなかった。以前、「チャーリーとチョコレート工場」でティム・バートン監督とジョニー・デップが来日した時、この映画に登場する子供たちの中で、一番難しい役が主人公の少年チャーリーだと言っていた。他の子役たちは姿形がデブだったり、内面が性悪、我儘、高慢と強烈な個性を持っているから、かえって演じやすいとのことだった。それに引き替え、チャーリーはどこにでもいる普通の少年だったので、無個性がゆえに演じるのが難しいそうだ。納得である。
で、ここで菊池凛子に話を戻すと、菊池凛子は聾唖の役である。障害者の役は一見難しいようで、実は私は簡単であると思っている。徹底的に訓練すれば、ある程度の演技力や表現力は出せるのではないだろうか。
とは言え、世界のアカデミー賞に日本の女優が「サヨナラ」のナンシー梅木以来なかったノミネートを手に入れ、その存在のデカさを世界中に広めたのだから、やはり菊池凛子ちゃんの功績は偉大である。
さて、映画そのものに話を戻すと、モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本と話が流れていくのだが、私は妙な発見をした。この映画はまるで計算されたように、いえ、偶然そうなったのか分からないが、この国々の流れの順番通りに優れ、より強烈な印象を残している点である。
つまり、この映画で私が一番感動した国は最初のモロッコだった。家庭内の不幸な出来事がきっかけに歯車が狂い、愛情が冷めてしまった夫婦(ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット)が心の痛手を癒すためにモロッコを旅する。そこで妻が何者かに銃で撃たれ、瀕死の重態に陥るのである。
今まで、私は映像の中でたくさんの夫婦愛の美しい物語を見せてもらった。しかし、今回の「バベル」のこのブラッド・ピッドとケイト・ブランシェットの夫婦愛のシーンの素晴らしさは映画史上に残るのではないだろうか。
言ってしまっていいのか、いや、言ってしまおう。良心的なモロッコ人の家に保護されたケイトが、突然尿意をもよおす。動けない体だからパンツに漏らしてしまえばいいのだが、やはり女性であるがゆえに最大の屈辱である。それを彼女は夫に恥ずかしそうに打ち明けるのだ。
すると、夫のブラッド・ピッドはさり気なく、ケイトのために、側にあった洗面器を彼女の下半身にあて、おしっこの始末を手伝うのである。
夫婦はこれを機会に心が融合し、お互いが抱えたトラウマから解放されていくのである。汚い部分、恥部に触れ合うことができることこそ夫婦の究極の愛の証なのである。これは長年共に生活をしてきた夫婦だからこそできることなのである。どんなに熱々の恋人同士でも、きっとこの部分だけは成立しないだろう。こんなリアルな夫婦の純粋極まりない愛の営みを描いた映画が他にあろうか。
ゆえに「バベル」はこのシーンを見るだけでも、非常に価値のある作品になり得たのである。
原題 BABEL
製作年度 2006年
上映時間 143分
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演 ブラッド・ピット 、ケイト・ブランシェット 、ガエル・ガルシア・ベルナル 、役所広司 、菊地凛子 、二階堂智
配給 ギャガコミュニケーション