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201007東北行3 登米は「とめ」か「とよま」か

仙台から登米にやってきました。登米は登米市だと「とめ(し)」ですが、登米町だと「とよま(ちょう)」と読みます。ややこしいですねぇ。
登米町には明治時代の建築物が残り「みやぎの明治村」などと呼ばれているそうです。


警察資料館
明治22年建築の警察署。
小さいながらも、なかなか洒落た建物です。

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水沢県庁記念館
明治4年建築の旧水沢県庁庁舎。その後は小学校や裁判所として使われたそうです。

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教育資料館
旧登米高等尋常小学校校舎。明治21年建築。
コの字型のかなり立派な建物で、白いバルコニーがいいアクセントになっています。

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登米懐古館
やっと本日のメインです。
白石宗実所用 鉄黒漆塗五枚胴具足
六十二間筋兜に前立は「也」の字。胴は仙台五枚胴。
白石宗実は伊達政宗に従い人取橋の戦いや摺上原の戦い等数々の戦で活躍。
直江兼続の「愛」ほどではないが「也」の前立もかなりのインパクトがあります。「月」をモチーフにした立物が多い伊達家中でも伊達成実の毛虫と並んで異色の前立ではないでしょうか。
伊達宗直所用 紺糸威具足
前立は半月。宗直の実父は梁川宗清(伊達稙宗の八男)で男子の無かった白石宗実の養子となる。関ヶ原の戦い(対上杉戦)や大坂の陣での功績により伊達の姓を賜り、登米伊達氏となった。

登米市役所方面に移動。

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登米市歴史博物館
亘理宗根所用 黒漆塗五枚胴具足
前立は三日月。伊達政宗より拝領の具足と伝わる。
亘理宗根の生い立ちは少々複雑で実父は伊達政宗とも重臣茂庭綱元とも伝わる、母である香の前は元々は豊臣秀吉の愛妾であり賭け碁で負けた秀吉が茂庭綱元に与え、その美貌から政宗が綱元からとり上げたとされている(のちに綱元に戻っている)。その為宗根は茂庭姓を名乗っているが後に亘理重宗の娘を娶り亘理宗根と名乗る。しかし亘理重宗には嫡男定宗がおり家督を継いでいたがわざわざ伊達の姓を与え伊達定宗(涌谷伊達氏)と名乗らせている。この複雑な一連の処置は政宗の意思であろうが、一体彼は何を思っていたのであろうか。

ここから一旦仙台に戻り次の目的地へ!
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