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23GW 萩城下巡8 高杉晋作誕生地・木戸孝允旧宅

萩。城下町エリア

高杉晋作立志像
高杉晋作は藩校の明倫館に入学し柳生新陰流剣術も学び、のち免許を皆伝された。吉田松陰主催の松下村塾では久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称され、その後奇兵隊を創設。
伊藤博文からは「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と評された。

高杉晋作誕生地
当時の間取り図によると部屋数が20以上ある広大な武家屋敷で、現在は残されている一部が公開されている。

晋作が産湯に使ったと伝えられる井戸

座敷
六畳

小室
三畳。炉も切ってあり茶室の佇まい。

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金毘羅社 円政寺
鎌倉時代頃に大内氏の祈願寺として今の山口市に創建。大内氏滅亡後、慶長9年(1604)毛利輝元が萩へ築城と同時に萩城下に移転され、毛利氏の祈願寺となった。
高杉晋作、伊藤博文が学び遊んだ寺としても有名。

石鳥居
境内には金毘羅社社殿があり、全国でも珍しい神仏習合の形態が今でも残る。

金毘羅社社殿
十二支の彫刻が施されている。

天狗の面
幼き日の高杉晋作は、家人にここへ連れて来られてこの天狗の面を見せられ、物おそれしないように躾られたといわれている。

木馬(神馬)
幼年期の高杉晋作や伊藤博文らが遊んだといわれる。

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木戸孝允旧宅
桂小五郎の名でも知られ“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅。生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした。

座敷
八畳。



誕生の間
木戸孝允が生まれた部屋とされる。

次回も萩。
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