SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1303 東京国立博物館

東京最後はここ、東京国立博物館です。

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竹一重切花入 銘 園城寺 千利休作
1590年の豊臣秀吉による小田原攻めに同行した利休が伊豆韮山の竹で作った花入のひとつ。
銘は表面の干割れを近江・園城寺(三井寺)の破れ鐘を連想した事に由来する。
後に松平不味が所持した。

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「園城寺 少庵」
利休より千少庵に贈られたこの花入は少庵により園城寺と名付けられました。
一説では最初この花入を利休が豊臣秀吉に献上したところ、気に入らなかった秀吉が庭に投げ捨てた為に表面にひび割れが出来たとも言われています。

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書状(武蔵鐙の文)千利休筆
1590年小田原征伐で秀吉に従っていた利休が関東を転戦していた弟子の古田織部に宛てた書状。竹の花筒(花入)を織部に贈った事やお茶を一緒に飲みましょうとも記されていて利休と織部の仲が窺われます。

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竹茶杓 銘 埋火 小堀遠州作
筒には遠州筆の「年暮るる有明の空の月影にほのかにのこる夜半の埋み火」の和歌が記されている。
小田原三茶人のひとり松永耳庵のコレクションであったが戦後に東博に寄贈された。
歴史学者の桑田忠親は昭和19年の大晦日に、疎開先である松永耳庵の別荘にある茶室に一人招待されてお茶を飲んだ。その時に使われた茶杓がこの遠州作「埋火」であったそうだ。

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長恨歌 松花堂昭乗筆
長恨歌は唐の時代の詩人・白楽天による楊貴妃と玄宗皇帝を題材にした漢詩。近衛信尋が手本とする為に昭乗に依頼し書かれた。養父・近衛信尹は寛永の三筆のひとりだが同じく三筆の昭乗に依頼しているのが面白いところ。

竹花入の名作、利休と織部関東の交流。この時利休は自身の死の予感があったのかどうなのか。
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