柿衛文庫
近衛家会所の石灯籠
江戸時代の伊丹の町は近衛家の領地で政務を行うための会所が存在していた。
この灯籠はもと会所の庭園にあったそう。
さて本題
松永貞徳とその周辺
期間:4月7日(土)~6月10日(日)
「俳諧の世界で松永貞徳といえば、貞門俳諧の祖として近世俳諧の礎を築いた人物として有名ですが、実は、室町、安土桃山、そして江戸と変転する時代を生きぬき、幅広い分野で才能を発揮した人物です。 (中略)本展では、貞徳の俳諧のみならず、連歌、和歌、狂歌、茶の湯との関わりを館蔵資料によって紹介します。」(公式より)
鷹筑波集
貞徳が発句・付句を取り集め、門人の西武に編集させた書。巻五の巻等には、貞徳が若い頃に見聞した秀吉・大村由己・利休・津田宗及・紹巴・細川幽斎・烏丸光広ら著名人の句を挙げ、回想を附記している。
貞徳は17歳ごろ、御伽衆であった大村由己の引き立てにより秀吉の右筆となっている。その為上記の様な人々と交流を持ったのだろう。
羽柴千句
天正6年(1578)5月、毛利攻めのため西国に下向しようとしていた羽柴秀吉の為、紹巴邸において催された戦勝祈念千句。発句は秀吉で他に紹巴・聖護院道澄・松梅院禅永・里村昌叱らが参加、中に松永貞徳の父・永種の名も見える。
松永永種は松永久秀の子または養子との説もある人物、とすれば貞徳は久秀の孫にあたる。
古田織部書状
九月三日付、松平正綱宛。内容は織部が目利きした墨蹟を正綱に斡旋している。「金拾枚」と具体的な金額が書かれている。
松平正綱は徳川家康に近仕した人物、当時の織部が「天下一宗匠」として存在感を示していた事をものがたる。
他に紹巴、木下長嘯子や安楽庵策伝の短冊、小堀遠州の書状に豊蔵坊信海の狂歌巻など貞徳の親交の広さを窺わせる内容でした。
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