大阪は茨木
茨木市立文化財資料館
開館40周年記念 第25回企画展「豊臣秀吉と茨木」
期間:7月13日(土)~8月26日(月)
「豊臣秀吉は茨木城を御座所とし、鷹狩りのために実際に訪れていました。豊臣秀吉と茨木はゆかりがあり、秀吉にまつわる資料や伝承が地域にのこされ、秀吉の足跡をみることができます。当館が開館以来この40年で収集してきた資料や、地域の伝承を集めて、豊臣秀吉と茨木の歴史をひもときます。」(公式より)
豊臣秀吉像
大田家資料のひとつで、箱表に「太閤秀吉公御像」裏に「文禄三年甲午三月三日 宮部法印筆 五幅之内 太田飛騨守江」とある。
宮部法印は秀吉に仕えた武将・宮部継潤の事で、本人が描いたとあるが制作をさせたという意味だろう。なお太田飛騨守については不詳との事。
大田家譜
大田家資料。園部藩家老の大田家の家譜で元祖の大田摂津守から記述がはじまり、初代から七代までの事跡が記されている。
これによれば大田摂津守は秀吉と姻戚関係にあり、その縁で摂津守の子・左兵衛は秀吉の推挙により小出秀政に仕える事になったという。
また大田摂津守は秀吉から様々な品を拝領しており、この内鞍と奇獣尾が伝存している。
雲竜蒔絵鞍
大田家譜に記された秀吉より拝領の「鞍」と思われる。但し附属の木札では摂津守ではなく子の左兵衛が拝領したとある。
唐獅子之尾
大田家譜に記された秀吉より拝領の「奇獣尾」と伝わる。附属の木札では摂津守ではなく子の左兵衛が拝領したとある。
縹糸縅胴丸
兜と籠手に園部藩家老・大田家の家紋「丸の内に蔦の葉」がある。
他に撮禁ですが、豊臣秀次に連座し茨木の大門寺で自害した木村常陸介が自害の際に着用していた経帷子と自害に使ったと伝わる短刀もありました。
茨木にのこる秀吉の伝承としては、秀吉が茶の湯に使った「黒井の清水」、秀吉が合戦の際に休息した「太閤松」、大坂城築城に使おうとした岩で作った「歯神地蔵」などもあるそうです。興味は尽きません。
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