大垣城
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、、石田三成ら西軍主力が入城し一時拠点となった。
大垣城天守
昭和20年に現存していた天守は空襲で焼失。現在の建物は昭和34年に外観復元された。
それでは中へ
大垣御城下図
寛永14~19年頃
桜蒔絵団扇
東照宮拝領
九曜紋入茶台
紫糸素懸威紋柄袖二枚胴具足
赤穂事件の際に赤穂への使者として派遣された戸田源五郎が有事に備えて持参したと伝わる甲冑。
朱漆塗紺糸威段替二枚胴具足
黒塗紺糸素懸威段替二枚胴具足
薙刀
穴沢主殿盛秀所持。
盛秀は号を浄見といい、薙刀術に長け豊臣秀頼に仕えた。弟子に尾張柳生の祖・柳生利厳に槍術・薙刀術を伝授した阿多棒庵らがいる。大坂の陣にて奮戦したが上杉景勝勢と交戦中に討ち死にした。
おあむの松
「おあむ(おあん)物語」の主人公おあむらは城から脱出の際に、天守の西側にあった松の木に縄をかけ、それを伝って内堀に降りたらいに乗って逃げたとされる。
戸田氏鉄公騎馬像
寛永12年(1635)摂津国尼崎より戸田氏鉄が大垣に転封。以降は明治になるまで戸田氏が大垣藩主を務めた。
次回も大垣
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