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1309 MOA美術館 茶の湯の道具

今回は静岡県は熱海

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MOA美術館 

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黄金の茶室(復元)
関白秀吉が造らせた組み立て式の茶室。御所や北野大茶会、九州の名護屋城にも持ち込まれた。

所蔵企画展 茶の湯の道具
期間:8月23日(金)~10月2日(水)

叭々鳥図 牧谿筆
梢に止まる叭々鳥を描いた作品。元は足利義満が所持した3幅の内のひとつ。後に織田信長が所持し本能寺に伝来した。
古瀬戸茶入 銘 臨月
茶入の腹が膨らんだ姿が妊婦さんの様だった事からの銘名。秀吉から福島正則に与えられた。
黒楽茶碗 銘 あやめ 長次郎作
厚造りで口部は強く内に抱え込まれている。カセた肌に黄褐釉がむらむらと表れている。
利休所持で天正15年の茶会で使用されたとされる。後に千宗旦が所持した。
千利休書状 滝川雄利宛
「熱海入湯の文」として知られる松永耳庵旧蔵の手紙。
1590年の秀吉による小田原征伐に同行した利休は、武蔵国を転戦していた古田織部と恐らく戦が一段落した後に熱海の湯に入っている。この書状で利休は滝川雄利にその事を知らせているが、利休と織部の仲が深まっている様子が分かる貴重な内容となっている。
古瀬戸肩衝茶入 金森肩衝 
すんなりした姿の茶入で光沢のある黒飴釉の中に湧き出た様に柿金気釉が混じるのが特徴。
金森宗和より金沢藩家老・本多政重へ伝わった。
大久保忠隣書状 古田織部宛
織部に手配を依頼した表具の仕立の礼状。
大久保忠隣は織部に茶の湯を学んだとされている徳川幕府の有力者。外様の織部としても忠隣のような人物に接近する必要があったのだろう。しかしながら忠隣は、1614年1月に失脚してしまう。この年大坂冬に陣が勃発し、翌年大坂夏の陣の後に織部は謀反の疑いで切腹する事になるのだが、大久保忠隣の改易の影響も大きかったのかもしれない。
共筒竹茶杓 千利休作
寂び竹で節上に太く樋が入る。蟻腰の典型的な利休茶杓。広島藩浅野家伝来。
竹茶杓 千少庵作
節下がすっと細い、白竹で素直な作。追筒は息子の宗旦作。
竹茶杓 古田織部作
一文字形の露、節の上下で色の変化が見られる織部らしい茶杓。

今回の展示では「熱海入湯の文」が良かった。利休と織部の親密さが窺える内容。翌年利休が亡くなっている時期であるのも示唆的です。


さてさて熱海といえば

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熱海城
典型的な観光城です。

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馬鎧や

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徳川家伝来とされる具足なんかも展示してます。
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