長浜城歴史博物館
特別展 「長浜城主・秀吉と歴代城主の変遷」
期間:7月22日(土)~9月18日(月)
豊鑑 巻一 竹中重門著
竹中半兵衛重治の子で、江戸幕府旗本の竹中重門が寛永8年(1631)に著した豊臣秀吉の伝記。
天正二年の春、小谷が雪深い事から、雪も少なく舟の利便性もある今浜に移り名を「長浜」としたと叙述する。
今浜から長浜への改名を記す注目される資料。
鏃
土佐藩家老・五藤家に伝わった鏃。
天正元年(1573)刀根坂の戦いで山内一豊の顔に刺さった矢を家臣の五藤為浄が草鞋を履いた足で踏みつけ抜いたもの。
鏃は五藤家の家宝になり、草鞋は藤崎神社の御神体となったと伝えられている。
六十間筋兜・頬当
藤基神社蔵(新潟県村上市)。長浜城主を務めた内藤信成所用と伝わる兜で、吹返には内藤家の家紋・下り藤を表す。
内藤信成が主君・徳川家康より賜ったものと伝わる。信成は松平広忠の庶子で家康の異母弟され、家康の信任の篤く、家康が大御所となり駿府城に移るまで、駿府城を任せられている。
太刀 銘 定利
鎌倉時代、京の綾小路の刀工・定利の作。刃長67.8cm、村上藩内藤家伝来。
村上藩内藤家は内藤信成を藩祖とし、5代・内藤弌信が入城し、幕末まで内藤家が村上藩主を歴任している。
長浜城最上階より安土城跡の方向の眺め。
織田信長の居城・安土城が目視可能であり、舟での移動も容易であった。
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知善院表門
知善院は元は小谷にあり秀吉が長浜に移し城の鬼門を守らせた。
表門は長浜城搦手門を移築したと伝わる。
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