黒田家の刀剣と甲冑展
期間:1月7日(日)~2月12日(月)
黒田如水所用 黒糸威五枚胴具足
朱漆塗合子形兜
本来上記具足には「白檀塗合子形兜」が添っていたが、如水より栗山利安に与えられた。
栗山利安の息子・栗山大膳利章の時「黒田騒動」が起き利章は盛岡藩南部家に預かりとなり、兜を持って盛岡へ旅立った。後に子孫が南部家に献上している。
「朱漆塗合子形兜」は貞享五年(1688)福岡藩主三代・黒田光之の命により作られた。
上記五枚胴具足の鎧櫃。「如水公御冑」とある。
黒田長政所用 黒漆塗南蛮鉢歯朶前立兜
慶長五年(1600)関ヶ原の戦い前に徳川家康より拝領した兜。「黒田家譜」によれば長久手の戦いで家康が着用したものと伝える。
黒田長政所用 黒漆叩塗帽子形兜
長政が禅の師である大徳寺の春屋宗園の帽子(もうす)をもらい受け摸して作らせたもの。
刀 二字国俊
鎌倉後期、山城の刀工・国俊の作。
茎に「黒田甲斐守所持之」とあり黒田長政の所持銘がある。
大身槍 一国長吉
享保名物帳所載。戦国時代、山城の刀工・長吉の作。
黒田長政が初陣以来愛用したとされ、後に筑前一国の太守となった事により「一国」と命名された。
金霰鮫青漆打刀拵
左が「圧切長谷部」右が「安宅切」の拵。黒田如水の愛刀「安宅切」の拵を模して「圧切長谷部」の拵が造られた。刀身の違いにより「安宅切」の拵の方が反りが強い。
黒田忠之所用 茶糸威五枚胴具足
兜は父・長政所用の一の谷形兜を模したもの。忠之以降の歴代藩主も写しを作っている。
短刀 銘 吉光 /金梨子地藤巴紋蒔絵合口拵
鎌倉時代中期、山城粟田口の刀工・藤四郎吉光の作。
徳川家康が誕生したばかりの黒田忠之に与えた。
黒田光之所用 黒糸素掛威丸胴具足
兜は初代・黒田長政に倣った大水牛脇立兜。
刀 行光 /黒漆塗打刀拵
鎌倉時代、相模の刀工・行光の作とされる。
三代将軍徳川家光より福岡藩三代・黒田光之が拝領した。
黒田一成所用 紺糸威五枚胴具足
兜は鉄錆地置手拭形大小頭立兜。文禄・慶長の役で着用したとされる。
黒田一成は黒田二十四騎や黒田八虎に数えられた。
黒田一成所用 銀大中刳大盔旗脇立頭形兜
銀箔押の脇立は1mを超える長大なもの。関ヶ原の戦いで着用したとされ、その際あまりに大きいために敵から旗指物と勘違いされ大砲を放つ目当てにされたという。
野口一成所用 紺糸威二枚胴具足
兜は朱漆塗頭形刳半月脇立兜。天正15年(1587)黒田如水(または長政)により同じ黒田二十四騎の一人である母里太兵衛が黒の、一成が朱の半月脇立を使用するよう命じられている。
沢山の甲冑、刀剣を拝見出来ました。いやいや眼福眼福。
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