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1211 香雪美術館 「寛永文化の茶人たち」

今回は神戸です。

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香雪美術館

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秋季企画展「寛永文化の茶人たち」
期間:11月10日(土)~12月16日(日)
「寛永文化とは、桃山と元禄に挟まれた寛永年間(1624-45)を中心としたおよそ80年間前後の江戸時代初期の文化を指します。(中略)本展では、遠州をはじめ、臨済宗大徳寺の禅僧江月宗玩、沢庵宗彭、その帰依者でもあった松花堂昭乗や近衛信尋らの由縁の茶道具や書画より、江戸・寛永の時代に育まれた文化人達の風雅な交流をご紹介します。」(公式より)

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茶杓 銘 茶瓢 村田珠光作
まだ形が定まらない最初期の竹茶杓。撓めがなく掬いにくそう。
瀬戸 白天目茶碗
4碗が現存する白天目の内の一つ。覆輪は銀色だが他の白天目では金のものも存在する。
武野紹鴎が所持し、後に豊臣秀吉から細川三斎へと伝わった。
茶杓 銘 夢 津田宗及作
大らかな姿の茶杓。津田宗及の息子で僧となった江月宗玩が「夢」と銘をつけた。父の作った茶杓にいかなる夢を見たのだろうか。
籠花入 銘 桂川
利休が桂川で漁をしていた者の魚籠に眼を留め掛花入としたことから銘がついた。
利休らしい侘びた風情をもつこの花入だが少々血生臭いエピソードも伝わっている。
赤穂浪士の討ち入り事件の時、吉良上野介の首を奪還される事を危惧した浪士は風呂敷になんとこの花入を包み生首の代わりにして主君・浅野内匠頭の菩提寺である泉岳寺に向かったとされます。
魚籠を花入とした利休も、まさか生首のかわりのなるとは流石に思わなかった事でしょう。
瀬戸肩衝茶入 銘 堪忍
その丸々とした姿から堪忍袋を連想した伊達政宗が銘を付けたとされる。以降仙台伊達家に伝来した。
「堪忍袋の緒が切れる」なんて言いますが政宗らしい物騒なネーミングですなぁ。
黒楽茶碗 銘 黒光悦 本阿弥光悦作
千宗旦が光悦に茶碗を所望したところ、どちらか好きなほうをと2碗を提示された。ところが宗旦は2碗とも頂戴してしまった。黒光悦はそのひとつで、もうひとつは「鉄壁」(関東大震災で焼失)。タイプの異なる光悦の茶碗、きっと宗旦でなくても両方欲しくなるだろう。
二重切花入 銘 のんかう 千宗旦作
楽家三代の道入は通称を「のんこう」と呼ばれるが、その由来がこの竹花入の銘だそう。
宗旦と道入が伊勢参りの帰りにのんこ茶屋の近くで良竹を見つけ、宗旦が花入を作り道入に贈った。道入はそれを大変気に入り日々花を入て客を迎えたところ、いつしか人々はのんこうと呼ぶようになったそうだ。

訪れる前は寛永時代との事で少々対象の時代と違うしどうだろう?と思っていましたが、これが中々興味深い。
寛永時代の茶人達は前時代の茶人達に負けない工夫をし豊かな茶湯を行なっていると感じました。
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