徳川美術館
名物―由緒正しき宝物― 前期
期間:9月17日 (土) ~ ~10月16日(日)
元和御成記 松花堂昭乗筆
元和九年(1623)2月13日二代将軍・徳川秀忠の尾張徳川家江戸屋敷への御成の記録。
今も伝わる道具が使用されたこの御成では、数寄屋・鎖の間・納炬の間から御成書院へと続く茶事が行われており、これは古田織部が目指した茶の湯形式であり、織部の弟子とされる徳川秀忠が慣れ親しんだものであった。
織部は慶長20年(1615)に徳川幕府により切腹を命じられているが、その茶の湯の理念は死後も生き続けていた事になる。
記録には、其々の部屋の担当者が記されており「御数寄屋」担当の一人に武野紹鷗の孫・新右衛門仲定、「御数寄屋勝手」には柳生兵庫すなわち尾張柳生初代の柳生兵庫助利厳の名が見える。
千種屋平瀬家旧蔵。
瓦獅子香炉 伝長次郎作
大名物。『雲州蔵帳』所載。中国製の青磁香炉に倣って造られた香炉。
姫路藩主で茶人でもあった酒井宗雅の日記によれば、利休忌の茶会で使用した事が分かる。
日記には千利休所持で利休より織部に譲られ、遠州から小堀家に代々伝わっていたところ利休忌に合わせて宗雅が譲り受けたとある。長次郎作もこの記録による。
酒井宗雅の後に松平不昧が所持した。
小堀遠州竹茶杓 銘 乱曲
『土屋蔵帳』所載。折撓で露は兜巾が立つ。節より全体に染み出したような景色が特徴。
筒には遠州が「乱曲 節以有色名之」と墨書している。
土浦藩土屋家伝来で近代には益田鈍翁が所持した。
個人蔵も多く見応え充分でした。
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